こんにちは。ちとせの出口です。

突然ですが、皆さんは「想定外」の出来事に強いですか?弱いですか?
「想定外」に強い人は、それだけいろんなことを受け入れられるということなのか、はたまた常日頃から様々な想定をしているということなのか・・・。
生きていたら少なからず皆が遭遇する「想定外」について。編集後記でちょっと考えてみます。

では、2019年最後のHOTTOPICSスタートです!

 

 

● [東南アジアの現場から]マレーシア クチン編 第一章

ちとせグループは、今や2割のメンバーが東南アジア(シンガポール、マレーシア、ブルネイ)に在籍しています。そして、いわゆる「大規模な現場」のメインはそれら東南アジアにて展開しているのが現状。つまり、現場感は東南アジアからしか伝えられない!私が毎回取材しに行くわけにもいかないし、何より現地に入り込んで日々奮闘しているメンバーに書いてもらったほうがリアルが伝わるはずと考え、「東南アジアの現場から」シリーズを今年の5月よりスタートさせました。

第二弾は、マレーシアのクチン編。クチンは、ボルネオ島(カリマンタン島とどちらの名前に馴染みがあるのでしょうか)の北西部に位置し、マレーシアの中でも独自の文化が色濃く残り、1つの国に近い形態をとるサラワク州の州都です。ここクチンにて、熱帯環境下における世界最大級の藻類培養設備を建設し、藻類産業を興すプロジェクトが動いています。2年半にわたりクチンにどっぷり入り込みプロジェクトを動かしてきた遠藤が、全5回にわたりクチンからお届けします!

マレーシアで奮闘するちとせ(矢印の3人)とSBCのメンバーたち。両手に電ドラを持ち、満面の笑みを浮かべているのがクチン編執筆者の遠藤

 

第一章:藻類産業の実現可能性を求めて、クチンに降り立つ ←今回はココ
第二章:藻ガールの本領発揮! ‐藻類の採集・単離・ライブラリーの構築‐(1月予定)
第三章:屋外大規模培養を見据えた、小規模屋外培養試験の実施(2月予定)
第四章:開所式典を迎えるまでに(3月予定)
最終章:様々な活動とオフの時間(4月予定)

 

第一章:藻類産業の実現可能性を求めて、クチンに降り立つ

「クチンに行ってくれないか?」 

藻類プラント運営に携わってきた此れ迄の経験を買われて、クチンに1000-m2の藻類パイロットプラントを建設するプロジェクトに声をかけられたのは2017年3月初頭であった。

今では2割のメンバーが東南アジアで奮闘しているちとせグループであるが、メンバーの中には語学が達者な人もいれば、不得手な人もいる。私は後者である。クチンが何処にあるのかもわからず、人も文化も知らず、さらに初の長期海外駐在ともなれば、簡単に「行きます!」とは返答できなかった。
しかし、とある好奇心が私にクチンへの駐在を決意させた。それは、「藻類産業とは単なる流行なのか? 産業として成立し得るのか? 実現可能ならばその瞬間に真っ先に立ち会いたい」との思いであった。

細胞生物学の始まりは、フックが手製の顕微鏡でコルク片を観察した1665年にまで遡るであろう。対して藻類学の始まりは、ラムルー(Jean Vincent Félix Lamouroux, 1819, France)やハーヴィー(William Henry Harvey, 1836, England)らによる海藻の分類が始まりとされており、淡水藻類まで含めた現在の藻類学の基礎を築いたのはパッシャー(Adolf Alois Pascher, 1900s, Czech)と言われている。藻類学は欧州(EU)で誕生し、第2次世界大戦期には藻類をタンパク質源とした食用用途への研究開発も試みられた。然しながら、産業と呼べる段階まで研究開発が深まることはなかった。一方で、1978年から1996年に掛けてアメリカ(USA)でも藻類からバイオディーゼルを開発するプロジェクトが開始されたが、こちらも経済的な収支が合わないとの理由からプロジェクトは中断されている。

細胞生物学と藻類学の歴史



藻類は、他の生物学の分野と比較して学問としての歴史が浅く知見の蓄積も小さいものの、上述の通り何度か産業用途への開発が試みられてきた。しかし、それらの開発が軌道に乗ることはなく一度は下火となったが、近年、タンパク質クライシス,燃料問題,環境問題などの時代背景が再び藻類に注目を集めさせた。転機となったのは2007年にUSAで制定されたエネルギー独立安全保障法 (EISA:Energy Independence and Security Act法)を機に、複数のベンチャー企業が立ち上がったことだ。この流れが世界を席巻し、現在の “藻類産業” という流れを再燃させた。時代に味方された藻類は、改めて産業として誕生しようと産声をあげたのである。

Googleで「藻類」「プラント」と単語を打ち込めば、多くの培養設備の画像を瞬時に検索でき、英語で検索すれば、より沢山の具体的な画像を閲覧する事が可能だ。便利な世の中である。以下の図は藻類の大型培養プラントと、それを有する国々の一例を世界地図上に示したものである。世の中では既に、多くの藻類培養プラントが建設されている。この図で注目していただきたいのは、それらのプラントが存在する “場所” である。

藻類の産業用途を前提とした場合、プラントの建設地は太陽光の恩恵(=日射量や日照時間)を受けやすく、季節性がないため温度も安定しやすい場所が適しているはずだ。それはつまり、赤道付近に他ならない。しかし、地図を見ていただくと分かる通り、ほとんどの培養プラントが北半球に位置しており、且つ赤道から離れた場所に存在している。北半球では冬が存在するため、通年での培養は不可能であろう。

世界各地の藻類培養施設



藻類培養プラントの建設や、屋外での大規模安定培養の実証は、藻類産業を担う上での初期段階として重要であるが、先の産業ビジョンまで視野に入れた道程を考えれば、“場所” というのは軽視できない深刻な問題となる。その点でクチンは、藻類産業を起こす上で非常に多くの利点を有す、優れた “場所” と言える。以下に利点を示す(4,5および6は駐在してから実感した内容)。

1. 赤道の近傍:季節性がない(冬がない)ため年中気温が安定しており、通年での屋外培養が可能。

2. 天災が無い:地震,津波,台風が無い(過去50年間に1度だけ、台風が近海で発生した事例がある)。

3. その日の天候が予想し易い:雨季にはスコールに遭遇するが1日に1回程度であり、降雨は20分から長くとも40分で止む。雨雲の接近が目視でわかるため、作業の計画・実行が管理し易い。

4. 他国に比べて物価が非常に安く、人件費や諸々の費用が驚くほど安い:例えば、お昼ご飯が150円で食べられたり、アパートでの1年間の水道料金が3000円だったりする。

5. 生活面が楽:クチンに限って言えば、衛生面が配慮されており治安も良い為、安全でとても暮らしやすい。また少量ながら日本製品も流通しているので、日本の調味料や電化製品も購入可能であり、日本食レストランもある。

6. 基本的に英語が通じる:マレー系,華僑,ムスリムの人達から成る多民族国家であるが、基本的に何処でも、誰とでも、英語でのコミュニケーションが可能。人種間における語学の隔たりが無いに等しい。

7. 東南アジアの中心に近く、巨大な市場が周囲に多くある

8. 藻類培養に適した、農耕不適地や平坦な土地が多くある

このように、藻類の培養面および駐在者の生活面の双方において、非常に多くの利点を有するクチン@マレーシアである。強いて欠点を挙げるとすれば、「 ① “島” である為、生産した藻類の発送などに不利(物流コストが嵩む)」「 ② 多民族国家であるため正月が年に3回ある(春節:華僑,Hari Raya Puasa:ムスリム,1月1日の新年:主にクリスチャン)。従って作業日程など、予定が立て難い」の2点である。

此処まで前置きが長くなってしまったが、2017年3月初頭にクチンへの誘いを受けた際に、思いを巡らせた内容であった。「千年先まで残る事業の核となる技術シーズを見い出し、実用化可能なレベルまで技術を育て、持続的に存続できる黒字の事業体として社会に埋め込むまでやり切る」のが、我々ちとせグループの企業理念である。どうも世の中では、正しい手順で物事を進める、というのは非常に難しいことのようであり、“藻類産業” を単なる流行で終わらせず、産業として成り立たせることまで考えた時、「クチンで奮闘するのは十分な価値がある」と、自分の中で納得する答えを見い出せた。

屋外培養設備について、地元紙,NNA,日刊ケミカルニュース,化学工業日報,週刊ブレーンズなど多種の雑誌に紹介され、今でも我々の活動が雑誌に紹介される。



様々な思いを胸に、2017年5月にクチン空港へと降り立ち、その2年後に、1000-m2 パイロットプラントの開所式典の日を迎えることができた。多くのメディアに取り上げられ、また沢山の人々に来訪していただいたことで、盛況な開所式典となった。心に残る仕事ができたと、自分に誇れる1日であった。しかし、此処まで辿り着く道程は決して生易しいものでは無く、長きに渡り積み重ねられた、皆の日々の努力が実を結んだ瞬間でもあった。

To be continued…



*筆者:遠藤 政城 (Tech & Biz Development Div. Experienced BioEngineer)
ちとせに入社してから、主に藻類の屋外大規模培養を担当。此れまでに横浜,鹿児島,タイにて屋外培養を成功させた経験を有す。藻類の専門家として見られがちだが、実は繊毛虫:テトラヒメナなどの原生動物が専門。

 

 

● クアラルンプール伊勢丹KLCCにて、Japan Winter Food Fairに参加しました

これまでキャメロンハイランドで生産し、シンガポールのみで販売していたちとせいちごとちとせ野菜たち。この度、クアラルンプールの伊勢丹で約2週間にわたり開催された日本冬季食品展に出展し、マレーシアの方々へ初めて販売させていただきました!

このイベントの様子を、シンガポール勤務のつっちーこと土田よりお届けします!

左からHanisa、筆者の土田、小池、本庄

◯土田真理奈(Corporate Logistics Div. Manager ):

みなさん こんにちは!
つっちーこと土田真理奈です。

普段はシンガポール勤務の私ですが、今回はマレーシアのクアラルンプール伊勢丹KLCCで開催された「JAPAN Winter food fair(日本冬季食品展)」(11月22日~12月4日までの計13日間)に参加してきましたので、当日の様子、そしてマレーシアチームの熱い熱い熱ーい思いなどなどお伝えしていきたいと思います。

常夏のマレーシア!なのにWinter?
と首をかしげたくなる気もしますが、イスラム教の国マレーシアといえど、やはりこの時期になると街はクリスマスモード一色となり、多くの人で賑わっていました。



私たちのブースは、今回の催事場であるスーパーのレジの目の前という一等地に用意してもらい(伊勢丹さんからの期待が伺えます)、イチゴ、トマト、とうもろこし、ほうれん草、春菊、水菜を販売しました。
これまで、マレーシアではちとせ野菜の販売をしてこなかったので、ここから一気にちとせ野菜を広げていこう!!というミッションの下、チーム一丸となってちとせを知ってもらうべく奮闘してきました。


朝10時の伊勢丹オープンに向け、9時から準備を始めます。
トラックから次々と荷下ろしされる産地直送の新鮮な野菜を、せっせとお店のバックヤードや店頭のブースまで運びます。週末に向けて多い時は40箱もの野菜が届くため、それを運んで店頭に並べるだけでもかなりの重労働です。
しかし、木下さんをはじめとするキャメロン(※)のメンバーが、フェアに間に合うよう必死に詰めて送ってくれているということを考えると本当に頭が下がる思いで、1パックでも、1本でも多く、何としてでもみんなの思いが詰まった野菜をお客様に届けしたい!!と、私たち販売側のメンバーも気合が入りました。
※キャメロンについてはこちらの記事を御覧ください
マレーシア産 “日本品質いちご” をきっかけに、アジア農業の未来をつくる


キャメロンでちとせいちご、ちとせ野菜を育てている木下

開店と同時に私たちのブースにはたくさんのお客様が集まり、ちとせ野菜を試食したり購入してくださいました。新鮮かつ安全で美味しい高品質の日本の果物・野菜へのニーズはかなり高いと感じました。


午後になっても客足は止まることはありません。
試食してくださったお客様はみんな笑顔になり、「新鮮で美味しい!こんなの食べたことない!」など有難いお言葉もたくさん頂戴しました。中には「昨日買って食べて美味しかったからまた買いに来たよ」と言ってくれたお客様もいました。
(木下さん、片岡さん、みんなの真心がこもったイチゴと野菜、しっかりと気持ちが届いていましたよ~)


しかし、だんだんと減っていく在庫に私たちも嬉しい悲鳴をあげます。

「木下さん、売るものがなくなってきてます!」
「明日イチゴ追加で出荷無理ですか?」
「イチゴ1Boxなんとか…」
「とうもろこしと春菊も欲しいです」
「水菜も足りへんのちゃうかな」
「のりあきキャメロン行って持ってきてくれへん?」
「俺、往復して取りに行きますよ」
「Maさんにも運んでもらうの手伝ってもらえないかな?」

こんなやりとりがグループチャットに流れ続けます。


連日の大盛況ぶりに、笑顔で販売する裏ではみんなの汗がにじんでいました。そしてそこには、ひとりひとりが出来ることを率先してやるという「チーム小池」としての団結力の強さが表れていました。

最終的には、売上目標達成率235%、今回出店した数あるブースの中でなんと!堂々の1位を獲得しました。

しかし、マレーシアメンバーからなる「チーム小池」の挑戦は始まったばかり。

メンバーの一人である本庄は、「”美味しい ”でもっともっと世界を笑顔にしたい!マレーシアだけじゃなくもっともっとその輪を広げていきたい。そして一人じゃできない大きな大きな夢をチームみんなの力で叶えていきたい!農業には大きな力と夢がある」と子供みたいに顔をくしゃくしゃにして語っていました。そして、「できないではなく、できる方法を考えるだけ」と話す顔からは本庄の本気度がひしひしと伝わってきました。


この勢いはこれから益々加速していき、より一層目が離せなくなることと思います。
読者の皆様にも、ぜひ注目して応援いただけたら嬉しいです!

以上、マレーシア伊勢丹KLCCフェアのレポートでした。最後までお読みいただき有難うございました。

 

 

● 藤田脳:時間の使い方のバランス

ちとせのメンバーでさえも代表の藤田が何をやっているのかよくわからないしなかなか会える機会もない、ましてや何を考えているのかも見えにくい・・。そこで、藤田に毎月なにかしら書いてもらうことにしました!

ちとせグループ代表 藤田
ちとせって「どうやって食べられているの?」とよく聞かれます。確かに我々は他に本業となる製品があって、その製品を販売した利益で次の製品の研究開発をしている多くの企業の研究所とは異なり、そもそも研究開発と事業開発の部隊だけが存在している会社ですので、どうやって食べているのか不思議に思われるのもよくわかります。

なぜ、なんとかギリギリでも食べてこられたかの理由を真剣に考えると、綺麗事ではなく本当に「お金を払ってくれる方のニーズに全力で答え続けようとする姿勢に対して、次もお金を払ってくれる方が居たから。」の連続であったと考えています。今まで我々にお仕事を発注していただけた多くの企業の皆様には感謝しかありません。

ただそんなカルチャーの会社で10年以上経ちメンバーも100人を超えてくると、いつの間にかメンバー一人一人がとにかく「全力を出すこと」だけに注力してしまいがちです。つまり、わかりやすく言うと、お金を頂いてくるのを忘れたまま、とにかく全力をだし続けている構図になりがちなのです。

思い返してみると、会社を立ち上げた2000年代前半はまだベンチャー企業という存在に対する偏見が今より大きく、大げさではなく玄関で塩を撒かれるような扱いをされるようなことも少なからずありました。

我々一人一人にそんな過去があるので、社会から我々一人一人に対しての活躍のチャンスを与えてもらえるようになった今、そんなチャンスに向かってとにかく自分の持つものを全力で返したくなってしまうのは当然です。
ちとせという会社は、今までもこれからもメンバーの一人一人が持っているものを、社会に対して全力で提供し続けられるチームでありたいと思うし、それを可能にする組織構造を作り続けたいと思っています。

とはいえ、私も経営の全ての責任を背負うCEOとして、多くのメンバーに「まだお金を払ってくれていない人のニーズにまで全力で答えていたら、先にお金を払ってくれた人に失礼だろ?」と、社内で言わなければいけない機会が増えてきています。

もっとも、メンバー達にそんなことを言っている私自身が、誰かに頼み事をされるとなんとか期待に沿いたい一心で全力で取り組んでしまっていることも少なくありません。

私の性分として、お金を過剰に意識するがあまり人間や組織の器が小さくなるのは好みではありません。しかし、だからといってメンバー一人一人がお金を気にしてくれないと組織も個人の生活も維持できないわけで、そのバランスのとり方にいつも迷っています。

また、現在のバランスよりどちらに重心をずらすべきかというのも、メンバー一人一人の人生のタイミングによって違うものだし、時間の使い方のバランスを組織全体として舵取りしていくのはとても難しいことだなぁと、何歳になっても悩む日々です。

ちとせグループ代表 藤田

 

 

● 学会発表「抗体医薬品の製造コストを低減する←細胞株構築からのアプローチ」

日本動物細胞工学会が主催した「第41回動物細胞工学シンポジウム」にて、ちとせ研究所 CTOの堀内貴之が「Chitose Super CHO expression system: 抗体医薬品の製造コストを低減する←細胞株構築からのアプローチ」の題目で講演を行いました。

<開催概要>
日時:2019年11月22日
会場:東京工業大学イノベーションセンター
主催:日本動物細胞工学会
※詳細についてはこちら

執筆者の大澤
◯当日同行した大澤(ちとせ研究所:Tech & Biz Development Div. Senior BioEngineer)より:

先日開催された、第41回動物細胞工学(JAACT)シンポジウム「バイオ医薬生産~バイオ医薬生産の未来予想図~」にて、弊社の堀内が講演を行いました。

まだ11月でしたが東京の最高気温は10度に届かず、冷たい小雨が降り続ける状況の中、会場は多くの人で埋め尽くされていました。抗体を中心としたバイオ医薬生産がいかに注目のモダリティであるかを感じました。そんな中、トップバッターとして「Chitose Super CHO expression system: 抗体医薬品の製造コストを低減する←細胞株構築からのアプローチ」というタイトルで堀内が発表を行い、活発な質疑応答をさせていただきました。

シンポジウムの中で他の講演者から「抗体は高価」「各国の医療財政を圧迫」というコメントがありましたが、生産の効率化は、バイオ医薬業界において非常に大きな課題の一つです。我々ちとせ研究所では、次世代バイオ医薬品製造技術研究組合(以下、MAB組合)の活動を通して新たなCHO(Chinese Hamster Oary)細胞株、CHO-MKを樹立し、世界一効率的なバイオ医薬生産ができるよう育種開発をしてきました。今回のシンポジウムの講演では、モデル抗体(市場品のバイオシミラー)を発現したケースで、培養7日という短い期間で7g/Lと高い生産性を示すデータを公開しました。さらに現在も世界最速で、かつ十分な生産量を得られるような細胞株育種および培養の研究を進めています。

こうした研究開発と並行して、2018年よりCHO-MKを使用したタンパク質性のバイオ医薬品発現株構築ビジネスを展開しています。現在までに10社以上の企業様から引き合いを受け、すでにいくつかのプロジェクトを開始しています。バイオ医薬生産の効率化という課題に対する答えの一つとして、新たなCHO細胞株、CHO-MKを用いて社会に貢献していきたいと思います。

 

 

● 編集後記

「想定外」にぶち当たることが多かった2019年。
自分が常日頃いかに「想定外」を想定せずに生きているのかを実感しました。

歳を重ねるにつれて(経験を重ねるにつれて)、想定の範囲が広まる気もするし、頭が固くなり様々なことを想定するのが困難になる場合もある。

どんなに想定しても全てをまかないきれるわけもなく、
想定外に遭遇することを完全になくすなんてことはできない。

若い頃の方がもしかしたら想定外の出来事に対して耐性があるのかも?なんて考えてもみたけれど、自分のことを思い返してみると様々なマイナスな出来事を想定しすぎて身動き取れなかったことを思い出しました。
(花火の火の粉が当たることを想像したら怖すぎて家の裏まで逃げる、スーパーで一人行動をするともしかしたらそのまま一生家族に会えなくなるかもしれないから一人で行動できない、、、、、)

想定しすぎても動けないし、
想定してなさすぎても戸惑ってしまう。

結局わたしたちには、
できることは全力でやる
その先はなるようにしかならないと受け入れる
そして、「想定外」にぶち当たったときは、できるだけ冷静に対処する
という以外にできることはないのかもしれない。

と、心からそう思えたらもっと生きやすくなるのかもしれないけれど、これが難しいんですよね…。

なんてあれこれ考えていたら、
「生きてるだけでまるもうけ」というセリフが脳裏をよぎりました。

来年はもう少し、「生きてるだけでまるもうけ」と思って生きるようにしてみよう。

 

次回のHOTTOPICSは1月上旬を予定しております。
ご意見、ご感想、お問い合わせは「news@chitose-bio.com」まで。