もうかれこれ10年近くは経つでしょうか。
社会情報学がご専門の村舘靖之博士(当時、東京⼤学⼤学院情報学環;現、内閣府経済社会総合研究所)から、不均衡進化理論と社会・経済の進化について議論をしたい旨のメールを受け取りました。そう言えば、ときどき海外の経済学系の電子ジャーナルから投稿依頼があります。未だ投稿したことはありませんが、社会・経済学者の方々も不均衡進化理論に興味があるのかなと思っていた矢先でした。

いつもの好奇心に駆られて、直ぐに東京メトロ西葛西駅近くにある行きつけの天ぷら屋さん「天藤」でお会いすることにしました。2013年5月上旬のことでした。
初めての印象は、若くてとても礼儀正しく、気骨を感じる青年でした。話をする中で、論文を投稿してみようと言う結論になりました。
ところで、よく年長者が若い人に飲食を奢る場面に出くわしますが、飲み食い代ぐらいは自分で払いましょう。そうしないと、知らず知らずのうちに良くない上下関係が生まれて、対等に議論が出来なくなるからです。お店を出る時に、彼にこの理由を良く説明した上で割り勘にしました。私は、研究者間の付き合いでは特に気を付けています。つまり、ケチな先輩ほど、貴方自身のことを大切に思ってくれている人、と考えましょう。

さて、不均衡進化の理論などは、DNA複製の非対称構造に由来するユニークな変異の地形(mutagenic landscape)の進化生物学的意味さえ理解できれば誰にでも納得できるものです。最近の経済学は数学を多用していますので、村舘さんは当然数学の理解力も十分です。一方、私の方はそう簡単にはいきません。経済学に接したのは大学の教養学部時代に持ち込み可能なケインズの教科書を試験場で斜め読みした一度きりで、それ以来、テレビのワイドショーに出てくるコメンテーターの意見を聞くぐらいのチャンスしか持ち合わせていません。そのため、経済学に出てくる専門用語の意味は言うまでもなく、文章の内容を正確にとらえることなど至難の業です。
このような訳で、主として村舘さんが論文の骨組みを作ることで落ち着きました。文字通り紆余曲折を経て、『不均衡進化理論と不均衡動学』と題する日本語の小論文1)の刊行に至りました。ご興味のある方はお読み頂けますと幸いです。

「生物進化も経済発展も、予期せぬ”ゆらぎ”や”不均衡”によって触発される」と言うのが本論文の結論です。巨大隕石と地球との衝突による気温低下のため、変温動物であったとされる恐竜が絶滅し、現生に隆盛を極める恒温動物の鳥類や哺乳類にとって替わったとする話は有名です。一方、人間社会においては、エネルギーと質量が相互変換可能であるという特殊相対性理論におけるe=mc2の大発見(発見そのものが一種の”ゆらぎ”とみることが出来る)が原子力発電というエネルギー革命と核兵器を生み出しました。半導体の発見が真空管を瞬く間に地上から駆逐し、IT巨大企業のGAFAを生み出したのも良い例だと思います。

生物界の進化を触発する”ゆらぎ”の実体は劇的環境変化と不均衡変異であることを不均衡変異理論は主張します2)。一方、経済界でのそれは広義の技術革新にほかなりません。不均衡進化理論と社会科学との出会いは今始まったばかりです。今後どのように展開するか楽しみにしています。

先程「好奇心」という言葉を使いましたが、少し説明が必要です。私は科学の醍醐味は、遠く離れたパラダイム(事象)間に共通する原理や理論を見つけ出すことだと信じています。その実現は極端に困難ですが、思考する場は恣意的に設定できます。

複製中のDNA分子の左右非対称性構造と不均衡な変異が進化の駆動と結びついた時、直ぐに思いついたのは、①物質の根源に関する理論、”CP対称性の破れ”(宇宙が物質から出来ているのは、物質と反物質の数のアンバランスが原因である)と、②プリゴジンの”散逸構造”(エネルーギ―の出入りを伴うエントロピー減少系が形を生む)でありました。
この様に、飛び離れた事象を比較してものを考えるのは私の習い性です。

①と②の2つのパラダイムの間を、”変異(=情報エントロピー上昇)の対称性の破れ”という概念を背負って徘徊しているようなものです。
この作業は実際にやってみますと心躍るものがあり、今でも一睡もせずに夜を過ごすことも稀ではありません。

生物進化と上記2つのパラダイムに通底する数理理論を探すなど私にはとても叶いませんが、この知的遊戯のメリットは、思いもかけない発見やアイデアが浮かぶチャンスが増えるように思えることです。しかし、本コラムのテーマである経済学や社会科学は人の心と行動が関わる部分が大きいので、徘徊先の第3のパラダイムになるかどうかは今の私にはわかりません。

 

2022年10月18日
古澤 満

 

1) 村舘靖之・古澤満,「不均衡進化理論と不均衡動学」.情報文化学会誌29巻第1号19-26(2022).
2)Fujihara, I. & Furusawa, M. Disparity mutagenesis model possesses the ability to realize both stable and rapid evolution in response to changing environments without altering mutation rates. Heliyon 2, e00141 (2016). doi: 10.1016/j.heliyon.2016.e00141

●第1回〜35回まではこちらから、第36回~はこちらからお読みいただけます。
●本コラムで述べられている「不均衡進化説」については、こちらも併せてお読みください。