75歳で第一製薬(現、第一三共株式会社)を退職して15年が経ちました。その間ほとんど自宅に籠りっきりで、進化に関する10篇の論文を書きました。通常の科学者と比較するとかなり奥手です。会社勤めの後半は、実質6年間文科省傘下のERATO『古澤発生遺伝子プロジェクト』を統括していましたので、私の会社でのポジションは定年制があって無いようなものでした。もしも学問の世界に定年制が無かったら、多分もっと多くの研究者が私のように高年齢になっても仕事を続けていたと思います。

IT技術の発展による取得情報量の飛躍的上昇、デジタル計算機の能率の向上とリモート会議の普及が生涯研究を可能にした環境要因です。作家や芸術家は定年制が無いので、高齢になってから代表作品を発表する例は枚挙に暇がありません。この様に、創造的な分野であっても、今では仕事と年齢とは本質的に関係がないと自信をもって言えると思います。

1992年に最初に発表した不均進化理論のコンセプトに共鳴した研究者が、その当時から三々五々と集まり、個人の資格でルーズな離合集散型グループを作って今日に至っています。わが国には後期高齢者に研究費を支出するシステムはありませんので、勢い、あまり経費の掛からない理論研究に傾いていくのはやむを得ないことだと思っています。強調すべきは、数学や理論物理化学等の異分野の研究者が集まったことと、内外の優れた討論者に恵まれていることです。

さて、ダーウィニズムの呪縛の実体はL = 1−e−Uの簡単な式で表すことが出来ます1)。Lは有害変異による集団の平均適応値の下降をもたらす遺伝的荷重を、Uは1回の複製(多細胞生物の場合は1世代)で入る有害変異の数です。U = 0の時はe0 = 1ですから、L= 1-1 = 0となり、当然適応値は下がりません。逆に、多数の有害変異が入った時、例えば、U = ∞ではe−∞ = 0となり、L = 1- 0 = 1です。荷重は目いっぱいかかり、結果としてエラー・カタストロフィーで集団は死滅します。この2つのUの値の間に許容される最大変異数(変異の閾値)があるはずです。ダーウィニズムに従った我々の遺伝アルゴリズムを使ったシミュレーションの結果も含めて、その値は「約1変異(含む、有害・有益・中立変異)/ゲノム/複製」と予想外に低い値に落ち着いています。我々の試算も1.40~1.44を示しています2)。この数値は直感的に理解できます。即ち、1世代に1変異/ゲノムの割合で変異が平均してランダムに入れば、世代を重ねるうちに全ての集団構成員に変異がどんどん蓄積されて行き、その中には有害変異もあるでしょうから、最終的には集団は絶滅するでしょう。

でも、この結論は何処か変だと思いませんか?
1)このように低い変異率の下では進化は極めてゆっくりと進むことをうまく説明できますが、ヒトの頭脳の急速な進化を説明できるでしょうか?
2)そのヒトでは、現代人でも1世代で約70個の変異が子供に加算されることが分かっています。実に閾値の70倍で、その内2個が有害変異と試算されます!では何故、我々は今ここに存在するのでしょう?
3)化石に見られる進化のジャンプ(キリンの首の急激な伸長やカンブリア爆発等)は閾値超えの変異なしに起こったのでしょうか?
これらの矛盾を解くアイデアは多くの生物学者によって提出されていますが、私を満足させるものは見つかりませんでした。詳細は私のレビューにまとめています3)

この矛盾を解くのに実に四半世紀を費やしました。その時は既に齢56になっていました。ネオ・ダーウィニズム派の重大な見落としは、変異はランダムに入ると仮定したことに気づきました。この見落としを起こした原因は、変異の分布にDNA複製の分子機構を反映させなかった点にあると考えます。ご承知のように、DNAの複製は、連続鎖・不連続鎖を用いて左右非対称です。複製時に変異が入りますから、当然変異の分布も非対称になるはずです。岡崎断片を用いる不連続鎖の方が変異を起こし易いと考えるのが普通でしょう。DNAをゲノムに持つ生物は例外なくこの方式で複製します。両鎖とも連続鎖で複製可能であるにもかかわらず、コストが掛かり、エラーを起こし易いこの歪な方式が生命発生以来ずっと守られているのにはそれなりの理由があるはずです。

不均衡変異の世界の奇妙な性質について以下に述べてみましょう。
典型的な不均衡変異モデルでは、閾値を遥かに超えた過剰の変異が不連続鎖で合成された娘DNAに偏って入ります。このような複製単位(レプリコン)から成る単一集団は奇妙な振る舞いをします。娘DNA集団の半数には有害変異が入り死滅するでしょうが、残り半分は変異ゼロの野生型として生き残るはずです。つまり、進化の観点から見ますと、変異率=0の場合と結果が同じです。ここでは進化はストップしますが絶滅はしません。但し、複製しても総数は増えないという奇妙なことが起こります。数式にご興味のある方は論文をご参照ください4)5)

見方を変えますと、このような究極の世界では、無限の数の変異を一度に飲み込むことが出来るブラックホールのような存在であるとも言えます。この様な極限の世界でも、進化の可能性は決してゼロではありません。変異がたくさん入った染色体にも、偶然、有害変異が入らずに、稀に有利な変異が入ることがあるでしょう。この娘DNAはパートナーの変異ゼロの娘DNAより更に環境に適しているので、このDNAがパートナーにとって代わって、新しい野生型として同様に子孫を作って行くことになります。この野生型の入れ替わりが新種形成の基になります。わが人類は絶滅どころか、世代ごとに70に近い変異をゲノムに溜め込みながら、虎視眈々と次の進化のジャンプの機会を狙っているのです。

複製は物質界にはない生命だけが持つ特徴であるということを思い起こすとき、この不均衡変異とDNA複製のカップリングが織りなす遺伝情報処理システムこそが、生命体に内包される高いrobustness(堅牢性)を生み出す根本要因だと思います。当初、私は半保存的DNA複製の陰に、このような世界が存在していることを想像すらできませんでした。見かけはソフトで柔軟な生命体が、かくも激しい環境の変化に適応し38憶年間も進化し続けることができた理由はここにあると思います。正に不死の戦略、生命の妙と言えるでしょう。

DNAは不可思議な物質です。1つの分子の中に保守性(遺伝)と革新性(進化)の両ポテンシヤルを秘めていて、半保存的複製がこれら2つの二律背反する特徴の具現化を可能にしているのです。
ここに、ネオ・ダーウィニズムの呪縛は原理的に完全に解けたものと自負しています。

 

2022年11月29日
古澤 満

 

1)Kimura, M., and Maruyama, T. The mutational load with epistiatic gene interactions in fitness. Genetics 54, 1337–1351(1966). doi.org/10.1093%2Fgenetics%2F54.6.1337
2)Fujihara, I., and Furusawa, M. Disparity mutagenesis model possesses the ability to realize both stable and rapid evolution in response to changing environments without altering mutation rates. Heliyon 2.680 e0014 1-25 (2016). doi: org/10.1016/j.heliyon.2016.e00141
3)M. Furusawa, The disparity mutagenesis model predicts rescue of living things from catastrophic errors. Frontiers in Genetics 421, 1–8 (2014). doi: 10.3389/fgene.2014.00421
4)Akashi, M., Fujihara, I., Takemura, M., & Furusawa, M. 2-dimensional genetic algorithm exhibited an essentiality of gene interaction for evolution. Journal of Theoretical Biology. 111044, (2022). Doi: https://doi.org/10.1016/j.jtbi.2022.111044
5)Fujihara, I., and Furusawa, M. A differential equation, deduced from a DNA-type genetic algorithm with the lagging- strand-biased mutagenesis. Heliyon 8 209155 (2022). doi.org/10.1016/j.heliyon.2022.e09155

●第1回〜35回まではこちらから、第36回~はこちらからお読みいただけます。
●本コラムで述べられている「不均衡進化説」については、こちらも併せてお読みください。