ちとせで働き始めて、飛んでいくように4ヶ月が経過した。こうして自由な記事を書かせてもらったり、通訳・翻訳をしたり、SNSの「中の人」をしたり、農場でソフトクリームを巻いたり、それはそれは瞬く間に過ぎていった。定点観測の意味で始めたこのド文系シリーズだが、4ヶ月も経てばこの会社に対する印象も変わっているかもしれないと思い、改めて私がちとせについて好きなところを挙げてみる。

①生き物に向き合う謙虚な姿勢
会社説明のスライドでは、以下の文をよく目にする。

我々が開発する技術は、小さな生き物をControlする(支配する)技術ではありません。~中略~ 地球環境と人間社会の持続性の向上のために小さな生き物をManageする(いい感じでやっていく)ことを目的とした技術です。”

私たちが日々相対するのは、微細藻類やハムスターの細胞、スイカの苗、酵母、土壌微生物、マイクロバイオームなど、小さな生き物だ。私たちのスタンスは、それらが持つ能力を最大限発揮できるよう「いい感じに整える」というものであり、全てを理解してコントロールするという考えにはならない。この前置きに自然や生き物に対する敬意が感じられ、その慎ましさが私は好きだなと思う。

②変化に寛容である
社員インタビューの連載「ちとせのひと」でも、多くの社員が「変化を恐れない企業文化」について語ってくれた。また以前、CIOの笠原さんが「一度作られた枠組みは常に疑って壊すことが我々の仕事」と言っていたことも印象深い。私たちは、かつて無かった新しい産業を本気で作ろうとしている。そこに慣習や前例はなく、あの手この手で方法を模索しながら目の前の目的を達成する。私たちは試行錯誤に対する労力や変わり続けることを厭わない。

③余白を許容する
相手をControlする(支配する)のではなく、信じて委ねてくれる。人と人との間にも余白があり、遊びがある。例えば上司からの指示でも、最終的なゴールは示してもらうがそこへ至る進み方は自分に合うやり方を考えて進めればよい。もちろん齟齬のないように、逐一報告はするし、途中経過での方向性の確認は必須だが、その余白と自主性を尊重してもらえるおかげで、自分なりの工夫を考えたり、アイディアが生まれたりすることもある。私には心地よい文化だと感じている。

と、ここまでちとせの企業文化について考えていたら、高校の頃に授業で読んだ「日本の庭について」という論説文を思い出した。その論説は、日本と西洋の庭園の特徴を挙げ、それらを比較することで浮き彫りになる日本文化について読み解いている。
簡単にまとめると以下の通り。

【西洋的庭園】
左右対称な庭園設計/幾何学的図形の花壇や石組/綺麗に刈り込まれた樹木や大理石


【日本的庭園】
左右非対称/土地の起伏を生かした築山/ほとんど手を加えらえることのない岩や植物

西洋の庭園では、人間は自然を征服した上で、支配、管理する。また、設計者の手を離れた瞬間から庭園は完成しており、その完璧な状態を維持することに力点が置かれる。一方、日本の庭園においては、自然は敬意と調和の対象であり支配すべきものではない。設計者の手を離れた後も、春夏秋冬で彩りが変わる様を慈しみ、成長する木々を見守り、巣をつくる虫や鳥たちと程よい距離を保ちながら、経年による変化すらも愛でる姿勢が見られる。

ちとせに根付く文化は、ひょっとすると山本健吉氏の示す日本庭園の特徴と共通するのではないか。自然(小さな生き物)への敬意を持つ。四季折々で彩りを新たにする日本庭園のように、現状維持をベストとせず、たゆまぬ変化を許容する。相手をコントロールするのではなく、余白に意味を持たせる。「いい感じに」という一見ゆるふわな言葉は、生き物への敬意、変革、余白(自主性)という価値観を内包する案外妙を得た表現なのかもしれない。一方、対義的価値観として、完全支配、保守、トップダウンというあたりが当てはまるかと思うが、これらはいわゆる日本企業が長く守ってきた価値観に近いと思う。新しい産業の構築を目指し、千年先まで見据えた「でっかいこと」を成し遂げるちとせという企業の方針としては、やっぱり「いい感じに」という価値観がぴったりなのだ。これからちとせが成し遂げる事業を、一社員としても、この星に住む一地球人としても、とても楽しみにしている。