もう半年前の出来事なのですが、50歳になりました。半世紀です。ヤバいです。

この50年間、とくにちとせを始めてからの15年間、大変多くの方との縁と支援に恵まれて、日本だけでなく色々な国の方と仕事をするような人生になりました。欧米のビジネスマンだけでなく、東南アジアや中東の王族の皆様、一代で大財閥を築き上げたオーナーや二世三世のオーナー、選挙で選ばれた政治家や官僚のトップ、国立研究所や大学の研究者の皆様、また一方で、現場の労働者の人達や森の中に住む原住民の皆さん、途上国から出稼ぎで来ている皆さんのそれぞれと、長い時間を掛けて色々な話をさせてもらい色々な価値観と接することができました。

そもそも私の根源的な仕事の動機は、ただひたすら「新しい世界を知り好奇心を満たすこと」にあります。多様な価値観の皆さんの考え方・行動原理と接し新しい価値観と触れることそのものが、私にとっては仕事の動機なのです。そんな動機で仕事をしてきた結果、世界中で日本だけが、なぜ失われた30年と呼ばれる時代を過ごしてしまったのかの本質的な理由がなんとなく見えてきたような気がしています。

その理由とは、意思決定において「広がる意思決定」か「縮まる意思決定」かという視点・軸が、日本人(特にエリートの日本人)の考え方、物事の決定のプロセスに含まれていないからだという仮説を持っています。
また、少なくともちとせにおいては、意思決定者である私が可能な限り「広がる意思決定」を選び続けてきたことが、なんとか15年間会社が倒産せずに少しづつ拡大してきた大きな理由の一つだと思うのです。

日本がこの30年徐々に縮んでいる間に、東南アジアの各国も、中東の各国も大発展を遂げています。欧米も日本のような経済的停滞は起こしていません。

私は経済発展だけが正義であるとは思いませんし、かなり強く母国を愛しているタイプの人間です。ですが、日本の外に出て暮らしがドンドン発展する中に身をおいていると、世界中で自分の母国だけがドンドン縮んでいくことを実感します。日本を愛しているからこそ、この状況を目の当たりにし続けるのは気持ちの良いものではありません。

日本だけが世界と異なる状況であることの肝は、「広がる意思決定」という概念にあるのだと私は感じています。今までこのことについて説明する機会がなかったのですが、今回連載記事を書くことになったのであの手この手で皆さんに「広がる意思決定」とはどういうことを言おうとしているのかを説明し続ける努力をしてみようと考えています。

一体、藤田は「広がる意思決定」という言葉で何を説明したいのかさっぱり伝わっていないと思いますが、「広がる意思決定」と似て非なる概念に「ポジティブな意思決定」があると思っています。私は、この「ポジティブ」と「広がる」は違うものだと言いたいのですが、この違いをどうもうまく説明できないままでいます。

なぜ、うまく説明できないかと言うと、とにかくポジティブで居続けることが良いことだという価値観が強く蔓延っているからだと思うのです。藤田がなにか小難しいことを言っている時点で、こいつもどうせ「ポジティブでいろ」と、近頃よく聞くお説教を始めたいのだと思われてしまうのです。違うのに。

このポジティブで居続けろという社会からの圧力は年々その強度が増しているような気がしています。おそらくこのポジティブ信仰は、元来は米国で強かったものであり、私が若い頃の日本は今ほどの圧力ではなかったように思うのです。
今や日本では、公の場で少しでもネガティブな意見を言おうものなら人間性ごと否定され、社会から抹殺されるような非難を浴びるので、根っからやたらシニカルに人間できている藤田は、近年は何も思ったことも言えないような窮屈さを感じながら生きています。私のようにこの世界に蔓延る「ポジティブ教」になんとなく窮屈な思いをしている人は少なくないのではないでしょうか。

正直に告白しますが、私は社交性や爽やかさがだいぶ足りない人間です。許されるのであれば、週の半分は誰とも話さずに部屋の隅っこでじっと座っていたいと日々思って生きている人間です。

仕事で知り合う方に、自分のことをこのように「根っから根暗なんですよ。」と言っても、あまり信じてもらえないどころか、「そんなことはない。あの時の藤田さんだって。」という話になることが多いです。

この認識のギャップの理由を考えると、それは根っからシニカルな私自身は、ポジティブな人間で居続けることは諦めている一方で、何かの意思決定をする時にそれが「広がる選択」なのか「縮む選択」なのかについては強く意識し、無理をしてでも常に「広がる選択肢」の方を選ぶようにしていることが理由のような気がしています。
可能な限り「広がる選択肢」を選ぼうとするので、なんとなく藤田は前向きなことを言うポジティブな人間だという印象を多くの方に持っていただけているのだと思います。しかし当人的には、それはポジティブなのではなくて、「広がる選択肢」を選んだだけという意識なのです。

初回は、結局藤田の言いたい「広がる意思決定」というのはポジティブであることとは違うらしいということしか書けませんでしたが、今後あの手この手で整理を続けてみたいと思っています。
私がこんなゆるい連載を書くことで、日本が再び世界の中で大きな存在感を発揮できる国に戻ることに、ほんの少しでも貢献ができれば良いなと考えて、現時点で誰からも求められてないことを始めている気もしていますがとりあえず一年は書き続けてみたいと思います。