「なんか社会の誰からも求められていない気がするけど、50歳にもなってしまったし久しぶりに連載でも始めるか。」という動機で、大海原に向かって小石を投げ続けてみようという気持ちで始めた連載ですが、第一回からボチボチ反響をいただきまして嬉しく思っています。

前回は、私が言いたい「広がる意思決定」とは、ポジティブやネガティブという軸とは全く関係がないのですということを言いたかったのですが、今世界にはびこるポジティブ信仰がなかなか根強いせいか、「私もポジティブ信仰にはしっくりこないと感じていた!」という点での反応が多かったような気がします。

第一回で私が言いたかったことは以下の図のようになります。

ポジティブと「広がる」が一致する第一象限は特に問題ないのですが、私が言いたいことを伝えるためには、ポジティブなのだけれど縮まる意思決定である第四象限について例を挙げて説明すれば良いのだということがわかりました。しかしながら、私がこの連載で対峙したいラスボスのうちの一人である「日本に蔓延るポジティブ信仰」は、どうやら現在のヒノキの棒とメラだけの装備では倒せそうもないことがわかったので、このラスボスを倒すのは連載の後回しにして他の論点の話をしたいと思います。

ポジティブと「広がる」の関係の説明を後回しにしてでも、まず先に触れなければいけないのは「整理や混沌」と「広がる」の関係です。

私が経営判断を迫られ、これは「広がる意思決定」なのかどうかを自問自答するときに、かなり重要視しているのが「整理と混沌のバランスを維持する」ことです。なぜなら、物事は整理しすぎても広がらず、混沌としすぎても広がらず、物事や組織が自発的に広がっていくには、最適な整理度合いというか、最適な混沌度合いがあると考えているからです。
論理的な表現に言い換えれば、ポジティブやネガティブと「広がる」は独立事象でしたが、整理と混沌と「広がる」は独立事象ではないということになります。

ここで、私が「整理と混沌」のバランスを如何に大事にして意思決定しているかの例としてちとせのロゴマークの事例をご紹介します。
デザイナーのIzuさんと何度もやり取りを重ねて最終的に出来上がったロゴマークは、文字間が広いものと狭いものの2通りでした。

デザインの完成度で言えば文字間が狭いものの方が正解だと思いつつも、私は文字間が広い方の案の採用を関係者で一人だけ強く主張しました。わざわざ不正解を選ぶ社長の意見は関係者全員からだいぶ反対されたのですが、ここは年に一回の社長のわがままカードを使わせてくれと強く主張したのを覚えています。

ちなみに、私はIzuの案よりももう少しだけ文字間を広げて欲しかったのですが、上記のような経緯だったので、デザインの完成度をさらに下げる方向の社長の願いは当社の広報部門に受け入れて貰えず今のデザインに落ち着いています。

では、なぜデザインとしての完成度を落としてでもロゴマークの文字間をもっと広げてほしかったのでしょうか。それは、「整理と混沌」のバランスが経営の意思決定をする上で大事だと思っている私の価値観を、ロゴマークからも表現したかったからです。

改めて言われれば誰でもそりゃそうだと言ってくれるのですが、古今東西、ありとあらゆるものが、混沌や隙間、つまり不完全さがないと広がらないわけです。完璧を目指すことは、完璧を実現したその瞬間から衰退が始まることを認めることになります。
なんだか説教めいた難しいことを言っているようですが、カニだって食べられるリスクを背負って脱皮するし、我々の文化だっていつも人間的には不完全な人間ばかりが、新しい時代の文化の扉を開き続けて来ました。
完璧を目指すことのつまらなさこそ、日本人が大事にし、世界に発信し続けるべき価値観の一つなのではないかと私は思っています。欧州や中華の価値観では最上とされてきた完璧な造形と幾何学模様の食器よりも、どこか曲がった造形で、ある意味運任せで描かれた模様の食器にこそ高い価値を置く日本人の価値観は、人類全体が大事にすべき宝だと私は思うのです。

だからといって、完全なる混沌の中では成長も発展の可能性も生まれません。
「整理と混沌のバランスを取り続けること」こそが、組織やビジネス、文化や価値観が広がっていくためにとても重要なポイントだというのは、これくらい謎の熱量で説明すれば、何を言っているのかよくわからないけど、まぁなんか正しいことを言っていそうだし、めんどくさいから頷いておこうという気持ちで(笑)多くの人が同意してくれます。

こうして「整理しすぎてはいけない。」「完璧を目指したら広がらない。」という総論では(まーた藤田がめんどくさいことを言い始めたよとしぶしぶ)納得してくれるのですが、いざ個別に具体的な事例での意思決定の場面になると、藤田が物事を「混沌寄り」にバランスを動かそうとするたびに、「常識を知らない。」「センスがない。」「なんでわざわざ壊すんだ。」と文句を言われ、藤田が目指したいバランスに物事を調整することを許してもらえません。

この整理と混沌のバランスを調整することは、自分が最終決定者にならないとやらせてもらえないと30歳前後で感じたことがサラリーマンを辞めて自分で会社を作るしか無いと思った理由の一つです。その後20年近く経ち、株主だろうが社長だろうが、所詮社会の中の駒の一つでしかない以上は、私が「ここだ!」と思うバランスでの意思決定を続けさせてもらうことはなかなか難しいのだなぁとつくづく感じています。

 

本連載の過去記事一覧

#1:「広がる意思決定」と「縮まる意思決定」