ちとせグループは、今や2割のメンバーが東南アジア(シンガポール、マレーシア、ブルネイ)に在籍しています。そして、いわゆる「大規模な現場」のメインはそれら東南アジアにて展開しているのが現状。つまり、現場感は東南アジアからしか伝えられない!私が毎回取材しに行くわけにもいかないし、何より現地に入り込んで日々奮闘しているメンバーに書いてもらったほうがリアルが伝わるはずと考え、「東南アジアの現場から」シリーズを始めてみることにしました。
第一弾は、”ちとせいちご” の生産拠点、マレーシアのキャメロンハイランド編。片岡が現場からお届けします。
*筆者:片岡 陽介(Chitose Agri Laboratory バイオエンジニア)
ちとせに入ってからマレーシアのボルネオ島の山奥で2年、その後キャメロンハイランドを拠点に”ちとせいちご” をメインとした東南アジアの農業プロジェクトを担当
酒呑んで、人に呑まれる
「陽、マリ、スィニ、ミヌム、ミヌム(陽介、こっち来て、呑め、呑め)」
脅迫?するような低い声に呼ばれて、オフィスの隣にあるレストランに行く。華人にとって縁起の良い赤いテーブルクロスが敷かれた円卓の上に、ビール瓶がすでに10本以上空いており、その真ん中に見たこともない3Lボトルのブランデーが場を支配するかのように鎮座している。私の父より少し若いくらいの60歳前後のおじさんたちが円卓を囲んでおり、明るいうちから既に出来上がっている。顔をだしてすぐさまビール用グラスを渡され、そこにウィスキーやブランデーを注がれて、「ヤムセーン!(乾杯)」。
ここはマレーシア、キャメロンハイランド。
私たちのオフィスはキャメロン高原の中でも中華系農家さんが多く集まっているエリアにある。幸運にも隣に繁盛する中華レストランがあるので、特に野菜が高値の時は景気がいいこともあって、週末や祭日はこのような光景が多く見られる。しかし、そこに私たちと同世代かそれより下の世代が一緒にいることは皆無だ。私は毎回誘われる度に、彼らと酒を酌み交わし、彼らの空気に呑まれながら、彼らの育んできた文化の中で生かされていることを実感する。酒席でビジネスの話が進むことは多くはないが、素面の時はビジネスや生活する上で困ったことがあると彼らは強力な助人となってくれるから心強い。
また、農家さんの一日の始まりである朝食の時間も大事な社交の場である。情報が欲しい時に朝食の場にでると、話しかけた人がその場に来る人来る人に声をかけ、いろいろな情報が集まってくる。それらの情報は時に突拍子もない怪しいものも含まれているが、だいたい就農者自身もしくは知り合いの経験談を聞くことができるので貴重だ。
常秋のキャメロンハイランド
私はオイルパームプランテーションでのプロジェクトが一段落した2017年より、キャメロンハイランドにおいてのイチゴの生産プロジェクトに加わった。低地にあるオイルパームプランテーションはまさに熱帯という気性の激しい風情であったが、キャメロンハイランドはまるで日本の仲秋の気候のようで、夜は涼しく虫の音が美しい。そのため、熱帯地域であってもイチゴが収穫でき、しかも一年を通して安定生産ができるのである。キャメロンハイランドの雰囲気を作り出す植物たちも熱帯のそれとは異なり、日本の山地帯で見られるような種類がいたりするから、なんだか懐かしくなり、心がしっとりすることがある。
イチゴ生産の最前線で働く人々
私たちのマレーシアにおけるプロジェクトは主に農場チームとパッキングチームに分かれており、農場で私たちの活動を強力にサポートするのは主にバングラデシュから出稼ぎで来ているたくましい男たちで、パッキングチームは現地の指先が繊細な中華系の女性たちにより支えられている。
農場チームのバングラデシュ人はムスリムなので、朝は日の出前のお祈りから始まる(そういうレベルで表現していいのかわからないが、私たちが朝風呂に入る人と入らない人がいるように、朝祈る人と祈らない人がいる)。そして朝ごはんをさっさと済ませて、暗さの残るひんやりと冷たい空気の中、夜露に濡れたいちごの葉に体を濡らしながら収穫を行っていく。しばらくすると、朝日がいちごを照らしはじめ葉水がキラキラと輝き、この時が一番美しい時間となる。
収穫が終わって、古い葉っぱや多すぎる花を取り除く、病害虫対策をするなど、いちごの株の管理が始まる。昼を挟んで、午後のスタート。この時が一番、暑くて大変。食害昆虫が入り込まないようにすべてを防虫ネットで覆っているため、ハウス内の温度は35℃を越えることもある。時間的にダレたり、暑さがしんどかったりするためか、彼らは携帯のアプリを使いコーランを流したり、良く通る歌声で歌い農園に喝を入れる。コーランが響くいちご農園は日本では絶対に見られないに違いない。
太陽が傾くころには空気の落ち着きに合わせるように彼らの話し声も小さくなって「蛍の光」の代わりとなる。それからあっという間に農園にはカレーの良い香りが立ち込める。「今日は何を食べるんだい?」と問うと、嬉しそうに「鶏」、「魚」、「牛」など原料の名前が返ってくる。私としてはカレーと答えてくれれば十分な気もするが、基本的に毎日カレーを食しているカレーマスターである彼らにとって、カレーと一括りにするのは雑に思われるのかもしれない。カレーを今まで一括りにしていた自分を恥じたと同時に、彼らが病害虫をすべて「サキッ(病気)」と表現するのと同じだな、と心の中で笑ってしまった。
農園が男性だけの世界である一方、室内で行うパッキングは一転、女性だけの世界である。朝採りされたイチゴは農場から中華レストラン隣のオフィス兼パッキングセンターへ運ばれ、次々とトレーに詰め込まれていく。日本のイチゴは食味を優先しており、果皮がとても柔らかい。そのため、パッキングは誰でもできるわけではなく、またできる人であってもある程度のトレーニングが必要である。
また、性格が顕著に表れる作業でもあるので、各作業者のムラを均しながら、うまくパッキングチームを回していく必要がある。話せる言語が違うため、今では英語とマレー語、中国語が飛び交っている。また箸が転がっても、、、というくらいに楽しそうに仕事をしているので、たまに顔を出すとこちらも楽しくなる。
ローカルペストを攻略せよ!
キャメロンハイランドは写真の通り、「そんな急斜面で野菜って育てられるの!?」と驚くくらい、農地として利用できる土地は制限なく利用されていて、新規の土地取得は容易ではない。そのため、新規農地を取得するべく良好な物件を探索する一方で、同時に、今すでに栽培している土地での収量を上げることにも力を入れている。収量を上げるためには病害虫コントロールと環境の最適化がポイントである。
環境の最適化は赤外線カットシートやミストの利用で対応しているが、休ませる時期がない周年栽培を行っているので病害虫コントロールの方は難しい。それに加えて、日本ではあまり発生しないような病害虫も発生するので、キャメロンハイランドに適した対策を組む必要がある。また、病害虫は農薬に対する抵抗性を身につけていくため(抗生物質と薬害耐性菌の関係に同じ)、農薬をアップデートしていかなければならない。
しかし、マレーシアの市場に出回っている農薬は日本や欧米が1990年代後半くらいに使っていたものが多く、抵抗性を持った病害虫に対して効果はあまり期待できない。日本や欧米ではこの病害虫の抵抗性に対して、捕食者(天敵)を生物農薬として使用する流れができているが、これもマレーシアの農業省からの認証が下りておらず輸入できないため、使用できない。これから認証プロセスに入ったとしても、許可が下りるのに6年はかかるとされており、あまり期待できない。
そこで私たちの農場ではキャメロン高地に生息する土着の天敵を探索し、これを自分たちで培養して使う方法を考えている。
時には車が行き交う道路脇の草むら、豪華絢爛に花が咲き乱れる高級アパートの庭など、農薬を使用していないと思われる場所ならどこへでもルーペを持った怪しげな男が参上し、使える天敵を探した。いちごにはハダニ、アザミウマ、アブラムシが感染することが多いが、これらに対する天敵がすでに1,2種類ずつ発見できており、これを用いたペストコントロールが期待されている。
天敵が利用できるようになれば、必要な農薬の量を今よりもさらに減らすことができるうえ、農薬に抵抗性を持った病害虫にも対応でき、収量を上げられると考えている。
生産者にとどまらず東南アジアでやりたいこと
私たちが東南アジアでやりたいことはいちご栽培などの栽培そのものではなく、その先にある「既存の非持続的で非感動的な農業を、もっと持続的でかつ農産物を作ったり食べたりすることで小さな幸せを生み出せるような農業に変えていきたい」という事である。いちごの栽培はその一つのマイルストーンであってゴールではない。食べた人が「おいしい!」と感動するものを作り、どうしてこれは他と違っておいしいの?育て方が違うの?と農業に少しでも興味が向いてくれたら、これ以上に嬉しいことはない。生産者に対しては儲かる農業、社会には安心とおいしさで喜ばれる農業を現場で体現しながら、農業離れする若い世代を惹きつけていく、そんな魅力ある集団を作っていきたい。
現状キャメロンハイランドでは農家さんが市場価格に翻弄されて厳しい状況になっているのをよく耳にする。日本の農協にあたる組織が脆弱なため、需給のコントロールが組織的にされていないということもそのような状況をもたらす一因だ。そして、野菜は重量のみによって価値づけされる場合が未だ多く、とにかく早く大量に生産できる方法、つまり、化学肥料と窒素の過剰投入、そして化学農薬を大量に用いた農業が選択されていく。
この大きな流れの方向性を変えるべく、私たちは現地に溶け込みながら活動している。シンガポールにある兄弟会社のChitose Agriculture Initiativeと力を合わせ、地道にブランディングをしてきた結果、「ちとせ」というブランドがシンガポールの市場に根を張りつつある。この強みを生かして、現地の農家さんと提携し、安心安全で環境負荷の少ない農法によって作られた野菜に市場価格に左右されない価格を設定し、それを「ちとせ」のブランドで販売していく。こうやってモデルケースを提示することで、重量以外の評価軸でも闘えるという事を広めていきたい。そうすることでキャメロンハイランドの農業がより持続可能な姿になっていくと信じている。
キャメロンハイランドでは先述の通り、化学肥料と未熟鶏糞のみを利用する農家が多く、土壌中の有機物がほとんどない状態で校庭の土みたいに痩せている。それゆえ、土壌の菌叢バランスが悪くなり、作物によっては連作障害が頻繁に発生しており、農家さんはその作物の栽培を諦めている状況が生じている。
一方で私たちと世代の近い熱意を持った若い農家さんも増えてきているように感じる。私たちと提携して日本の葉物野菜を作っている農家さんもそのうちの一つであり、ちとせの目指す農業を共有しながら、ともに安心安全な葉物野菜を食卓へ届けるべく奮闘している。また、ここでは連作障害が故に敬遠されている野菜の栽培にも挑戦する予定だ。私たちの持つ土壌改良のソリューションを彼らと共有しつつ、また切磋琢磨しマレーシアの未来の農業、さらには東南アジア全体の農業を、この変わりゆく時代に一緒に形作っていけることがとても誇らしく心が躍る。