発酵を中心としたバイオ生産においてAIを活用することで、刻々と変わる培養状況を定量的に捉えようというプロジェクトを2018年からスタートさせた。そのプロジェクトの背景と今後の展開に関して、バイオインダストリー協会の機関紙「バイオサイエンスとインダストリー(B&I)」にて寄稿した内容をここに掲載する。

1. バイオ産業を取り巻くデジタル化の状況

AI、ビッグデータ、IoTなどの言葉が、毎日ニュースで飛び交うようになってから久しい。これまでビジネスの「インフラ」として見られていたデジタル技術が、スマートフォンで一気に個人レベルに拡大し、GAFA+MS(Google、Apple、Facebook、Amazon、MicroSoft)や中国企業が牽引する新しいデジタル技術(AI、ビッグデータ、IoTなど)が個人の生活に入り込んでくるなど、産業構造は確実に変化してきている。これらのデジタル技術革新が第4次産業革命を引き起こしているという人もいる。

デジタル技術革新は、個人の生活との接点(Eコマースやスマホを使った事業など)から始まり、着実に産業分野への展開も進んできている。製造業においては、ディスクリート型の組立産業(自動車、精密機械など)からこれら新技術の適用が進んでいる。ドイツが国を挙げて取り組むIndustries4.0も、自動車、精密機械から装置産業、エネルギー産業への展開を指向している。

日本では、産業だけでなく社会全体へのデジタル技術の展開を、Society5.0として産官学で推し進めている。Society5.0は、サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実社会)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)と定義されている。これまでのSociety4.0は情報化社会として定義されており、サイバー空間とフィジカル空間の間に人の判断が介在することが前提だった。Society5.0では、AIなどの活用でサイバー空間の結果を直接フィジカル空間へ出力し、これまで人の能力だけではできなかった新たな価値が、産業や社会にもたらされることになる。SDGsの地球的課題解決までをも含めた実装を目指して進めている。

これらの革新的デジタル技術の本質の1つは、これまで人ができることを効率化する目的で使用していたデジタル技術が、人の能力を超えることができるようになってきていることにある。こういった文脈を踏まえて、これからはバイオ産業とはそのものが独立した産業として存在するのではなく、情報産業の発展と同様にバイオ産業も、既存の全ての産業がバイオ化していくと筆者らは捉えている。また筆者らは、全産業がバイオ化するための鍵が、近年急速に高まっているデジタル技術にあると認識している。

2. デジタル技術のバイオ生産への展開

最先端の産業を牽引しているのがデジタル技術革新だけでなく、飛躍的に進んだバイオテクノロジーの技術革新にあることは周知のことである。この技術は、主に新たな物質の生産を担う生産菌の開発にもたらされている。

発酵を中心としたバイオ生産にバイオテクノロジーがもたらされた1960年代は、変異処理と耐性化を手法に生産菌の開発が行われていたが、遺伝子組換え技術の進展とともに、目指す遺伝子のデザイン、導入が可能となっていた。ここ数年でDNAシーケンシング技術の革新、CRISPR-Casによるゲノム編集技術の躍進、デジタル解析技術の高度化により、経済産業省が定義している「スマートセル」が現実のものとして捉えられるようになってきた。バイオテクノロジーは、生産効率の改善によりバイオ産業の収益に貢献してきたところから、近年は新しい物質生産に進展し、医療分野などへ展開されている。研究の分野においては、すでに生物工学から合成生物学へと進化してきている。

米国ベンチャー(Zymergen社、Ginkgo Bioworks社など)においては、革新的なデジタル技術を用いて、人の判断を介さない、アルゴリズムによる判断で、超高効率(ハイスループット)な生産菌開発を進めてきている。加えて、Bill Gates財団やVinod Khoslaなどのベンチャーキャピタルが毎年有能なバイオ系スタートアップに資金を投入しており、研究開発の新たな潮流のなかでデジタル技術革新の利用が加速している。

一方、発酵などのバイオ生産に目を向けると、物質生産としては、アミノ酸発酵生産を中心に、1970年代までに現在のような大量生産技術が日本で確立された。発酵プロセスを用いた生産の特徴の1つは、ある製品の商業生産開始の後、生産現場での改善、すり合わせが進み、いわゆる匠の技により生産効率の向上がもたらされることであり、それが継続的な事業収益性への寄与につながっていた。バイオ生産の(運転)制御には、デジタル技術(DCS(分散制御システム)など)が早くから使われていたが、装置産業としての成熟度が上がるにつれて、中国、韓国、ドイツなどのバイオ産業が肩を並べてきており、日本の技術優位性がコストの優位性を生み出せなくなってきた。そのため、技術優位性を活かせる抗体医薬などの高付加価値品の生産へ技術開発の方向が向けられているのが現状である。

デジタル技術革新は、バイオテクノロジーを基盤としたバイオ産業への展開の可能性を示しており、生産菌の開発のみならず発酵プラントの革新への機会ともなり、経済性の改善によりスマートセルで生産した物質を、より広く世の中へ普及していくことにもつながると考えられる。

3. バイオ生産に革新的デジタル技術を持ち込む上での課題

昨今、様々な場面でデジタル技術の活用について検討されているが、中でもいわゆるAI活用については、そう簡単ではないということもわかってきている。直面している課題を3つの視点に分けて考察する。

  1. 現象を完全に記述したデータを取得できているか否か
  2. 現象を記述したデータをリアルタイムに取得できているか否か
  3. 現象を生じさせる要因が、知能を持っているか否か

例えば、囲碁や将棋は、棋譜という形で、現象を完全に記述することができる。しかも、棋譜は、その瞬間の情報であり、情報をリアルタイムに入手し、次の一手を考えることができる。囲碁・将棋の難しさは、相手にも知能があり、知能を持って盤上の状態を変化させるという点にある。現時点で、深層学習を活用した囲碁や将棋のコンピュータープログラムは、取り得るすべての棋譜を読み切った上で、次の手を考えている訳ではないと言われている。それでも、棋譜という情報により、たとえ相手が知能を持っていたとしても、相手よりも適切により多く学習できさえすれば、圧倒的勝率で勝てるプログラムを生成することが可能になる。

一方、完全な株価予想プログラムがなぜできないのか。株価に影響を与え得る現象を完全に記述することができないからである。世界各国で、政府や企業から様々な経済指標が発表され、それを瞬時に反映することは可能になってきている。そして、その指標は株価に強く影響することは間違いないが、1株価に影響を与える全ての情報とは言えない。また、2経済指標はある一定期間の状態をまとめて報告するものであって、リアルタイムに発生している経済状態を反映している訳でもない。しかも、3株価変動要因には、知能を持った多数の投資家の行動が複雑かつ深く関与している。このように上記3ついずれのポイントで考えても、1つのプログラムが株価予想において圧倒的勝率を収めるのが非常に難しいと言える。

バイオ生産の場合、どうだろうか。通常、発酵プロセスでは、温度やpH、溶存酸素など様々なデータを指標にプロセスは制御されている。ただ、そこにAIを活用することを考えた時、通常用いられているセンサーデータだけでは、そこで起きている現象のごくごく断片的な状態しか把握できない。より詳細に生物の状態を記述することを目的として、トランスクリプトーム(網羅的な遺伝子発現解析)やメタボローム(網羅的な代謝物解析)などオミックスデータを活用するという考え方もある。オミックスデータは、非常に多くの情報量を取得することができるため、生物の状態について、極めて詳細に記述することが可能である。しかし、データが出力されるまでには、サンプルの前処理やシーケンサー・分析機器を用いたデータ取得に時間がかかり、データが出たころには、そのデータは過去のものになってしまう。つまりオミックスデータではリアルタイムに現象を記述することができない。リアルタイムに、詳細に現象を記述できるデータを取得するには、非標識・非侵襲・安価・連続・大容量にデータを取得できることが重要である。それが実現できれば、あとは、相手は知能を持たない微生物であるが、こちらからのアクションに対して先を読んだリアクションがあることまで想定する必要はない。つまり、生物の活動状況を詳細にリアルタイムに記述できるデータがあれば、発酵プロセスにおいて機械が学習し判断することのできるバイオ生産マネジメントは、実用可能なレベルに十分達し得ると期待できる。

4. バイオ生産に革新的デジタル技術を持ちこむ手段

ここで扱うデータは、現象をリアルタイムかつ詳細に記述できる必要がある。そこで系中の状態をあらゆる角度から(光学的に、電気化学的に、力学的、化学的に)捉えるために複数のセンサーを適用し、発酵プロセスにおける様々な指標との相関関係のあるデータを取得する。例えば、菌体の状態を光学的データ(形態画像、ラマン光、表面電荷など)としてリアルタイム検出するなどである。

日本には、非常に高度なセンシング技術・デバイスが多数ある。一方で、そのほとんどはこれまでは人が理解することを前提としたアプリケーションへの活用に限られていた。今回、人が理解することを前提とせず、機械による学習に特化して入手可能なセンサーを見直したとき、今までバイオ生産を把握する目的として見落とされていた中にも、適したセンサーは多数あることがわかってきている。筆者らは、そのようなセンサーを組み合わせたデータ取得装置およびそれを組み込んだ培養器を用いてデータを取得することを、今考えている。

筆者らが開発するプログラムは、培養中に、リアルタイムに入力されるデータから出力値を返す。そして、その出力値に基づいて発酵制御値を微調整することが可能な発酵マネジメントシステムの開発を目指している。これを実現するために、発酵プロセスエンジニアとデータサイエンティストはもちろん、それ以外のプロセス開発・運用に関与する全ての人にとって使いやすいプラットフォームを整備する必要がある。

5. 革新技術の社会実装と将来像

「バイオとデジタルの融合―製造プロセスへのデジタル技術活用について知恵を結集する会」が、2017年12月13日から、(公社)企業情報化協会(IT協会)、(一財)バイオインダストリー協会(JBA)の共催で4回開催された。主にバイオ産業ですでに事業を行っている企業からの参加者を中心に、革新的なデジタル技術の活用について議論がなされた。技術の適用領域として、スケールアップと安定生産に集約され、さらにデジタルツインとしてサイバー空間での革新がフィジカル空間へ反映されていくシステムの開発を求める声が出された。

バイオテクノロジーをもとに発展してきたバイオ産業もデジタル技術から離れて存在できるものではない。

ここで思い起こすのは、かつての半導体産業である。世界の半導体産業は、今日に至るまで一貫して高い成長を維持している。デジタル化がさらに進む今後も成長は確実である。しかし日本の半導体産業は状況を異にしている。1960年代にトランジスタ生産額で世界トップになり、80年代から90年代前半にかけては半導体メモリーの主力であるⅮRAMで世界を席巻した。それからわずか20年後の今日、そのシェアは見る影もないところにまで低下している。

バイオ産業も半導体産業も、産業の成り立ちや競争の構図は異なるが、テクノロジーを競争力の源泉として産業を成り立たせている点は同じである。バイオ産業がモノづくりの産業として、バイオテクノロジーとデジタル技術を活かした技術革新への投資を、リスクを背負っても進めることを決断するタイミングが迫っている。

この革新的デジタル技術をチャレンジャーが用いればバイオ産業のディスラプターとなる。微生物を扱うノウハウを蓄積してきた既存企業が用いれば、バイオ産業の新たな市場が拡がる可能性を持っている。

将来、AI活用した発酵マネジメントシステムが実用レベルに達したとき、人の判断、制御を超えた発酵により、ディスクリート型製造業で実現されている多品種連続生産(マスカスタマイズ生産)が可能となり、モノづくり産業におけるバイオ産業の地位は飛躍的に高まる。

6. コンソーシアムの結成

最後に、筆者らが作ろうとしているプラットフォームは、次のようなものである。

  • 日本企業の中で閉じたものにはしない。このプラットフォームがグローバルスタンダードになるように発展させることで、発酵プロセス関連の世界市場全体の拡大を目指す。
  • 既存プロセスの自動化や高度化にはとどまらない。これまで活用されてこなかったデータとモデル、そしてそれを活用した発酵マネジメントシステムから、これまでにない全く新しい発酵プロセスを生み出し、新しい産業領域を生み出すことを目指す。
  • 個別の企業の努力だけで成し遂げられるものではない。そこで、これまで競い合ってきた日本企業が、発酵プロセスの基盤となる技術プラットフォーム構築において協調することで、発酵プロセスを活用した産業の国際的な成長に対して日本企業が大きく貢献すると共に、日本企業の国際競争力向上を目指す。

つまり、今回これを複数の日本企業・アカデミアが連携してコンソーシアムを結成して実現しようとしているが、一般的なコンソーシアムとは異なる点がある。本コンソーシアムは、国から受け入れる資金は、その後の民間投資を呼び込むための呼び水として位置付ける。国からの助成金による研究開発成果を元に、さらに大きな民間投資を呼び込むことで、国からのサポートが終了した後も民間資金で研究開発を継続し、最終的に各企業が自社の事業として国際競争力のあるレベルにまでシームレスに開発を継続できることを前提とする組織体として結成しようとしている。本コンソーシアムをそのような組織体として成立させるために、これまで国内外の多くの大企業と、発酵・バイオ関連の研究開発を共に格闘してきた(株)ちとせ研究所が、その運営に対して責任を持ち、コンソーシアム参画企業が国際競争力のある事業を作るところまでを全力で支援する体制を整える。

※初出:バイオサイエンスとインダストリー(B&I)2019年3月号(Vol77 No.2)


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