
2025年10月7日に親友のSir John Gurdon博士が亡くなられました。92歳でした。心より哀悼の意を表します。
10月8日に友人からガードン博士の訃報が届きました。ガードン博士はiPS細胞で有名な山中伸弥博士と同じ年に一緒にノーベル賞を受賞された、クローン蛙で有名な先生と言えば多くの方がご存じだと思います。
ガードン博士と筆者との出会い、人となりやエピソードに関しましては、博士のノーベル賞受賞の際に『ガードンさん、ジーンさんノーベル賞受賞おめでとうございます』と題して拙文を書きました。本コラムをお読みになる前に是非お読みになることをお薦めいたします(文献1)。
約60年前の日本の発生学(現在の発生生物学)は京都大学を中心とする実験形態学が主流でした。両生類の発生初期杯を材料にして、胚の一部を切り取り、胚の別の場所に移植するといったような、双眼実体顕微鏡下でミクロな手術を駆使する研究が主でした。手術の道具は、ヒトの赤ちゃんの髪の毛で作ったループを細いガラス管の先に蝋で固定した自作の道具と、細いガラス棒を引き延ばして作ったメス等を使用しました。
筆者が所属していた大阪市立大学(現、大阪公立大学)理学部の発生研究室の教授であった朝山新一先生が、我々若手教員に何とか新しい研究方法を取り入れさせようと、国際会議で出会った当時30歳のガードン博士を研究室に招かれたのが博士にお目にかかった最初でした。
筆者は、ガードン博士が我々の研究室で紹介された核移植に非常に興味を持ちましたが、すでに心は進化に向かっており、核移植はガードン博士にお任せすることにしました。博士は新しい論文をいつも航空便で送ってくれていましたので、核移植実験の情報には事欠きませんでした。当時、博士の研究室を2、3度訪問したこともあります。
ガードン博士が開発したクローン蛙は、オタマジャクシの腸細胞から核を抜きとり、受精卵の核と入れ替えた卵から発生したものです。以前にも少し触れましたが(文献1)、当時学会の多数意見では、ガードン博士の実験結果から、“発生過程では細胞核のDNAは変化しない”と解釈されていました。つまり、個体発生の過程の中で起こる細胞分化は遺伝子の発現制御(“on”と“off”)で説明できると共通認識されていたのです。果たしてそうでしょうか?移植後の染色体やDNAの変化を調べた人もなく、このような結論を出すことは時期尚早であるというのが筆者の当時の考えでした。クローン蛙から得られる結論は、“受精卵の細胞質には一度分化した細胞の遺伝情報発現機構をご破算にして元の状態に戻す力がある”というのが筆者の結論でした。今や世界中に存在するヒツジやウシ、イヌ等のクローン動物が本当に正常であれば筆者の危惧は当たりませんが、その結論はまだ出ていないと思います。
何れにしましても、クローン蛙やクローン動物の誕生は、生命科学に新しい概念を与え、新しい生命観や倫理観、生死観を生み出したという意味でも本当に素晴らしいパイオニア的研究だと思います。また、博士は卓抜したアイデアの持ち主であることも事実です。例えば、カエルの核抜き受精卵を、生合成実験のための天然のミクロ試験管として使う技術を開発したのも博士です。
この辺でガードン博士と筆者の科学にまつわるエピソードを二つご紹介しましょう。
筆者が不均衡進化理論を最初に発表した1993年頃だったと記憶しています。ケンブリッジ大学にある博士の研究室を訪問した際、博士のご希望でラボのランチョン・セミナー(聴衆が昼食を摂りながら聴く簡単なセミナー)で話題を提供した時のことです。セミナーを始める直前に、やおら博士は自ら筆者のスピ―チの逐次翻訳を申し出られたのです。前代未聞の英語の英語による翻訳です。筆者は演壇に上がると早口になる癖があり、ラボのメンバーに正確に内容が伝わるようにわざわざ労をとっていただいたのです。抽象的で理解しにくい不均衡進化の含意は皆様に確実に伝わったと思います。本当にやさしく親切な方で、今でもその時のことを時々想い出しています。
もう20年も前になりますでしょうか、筆者の友人が海外の国際会議場で偶然博士に会い数人で雑談した時のことだそうです。その友人の話によりますと、博士は「ところで、近頃ミツルは数学を使った研究をしているようだか、誰か内容が分かる方がおられますか?」と尋ねられたそうですが、誰も答えなかったそうです。その様子は手に取るように分かります。今でも論文を投稿する度に同じような経験をしています。矢張り、こちらの努力が足りないためだと常に反省しています。
サー・ジョーン!60年もの永きに亘る熱い友情と刺激的な討論に深く感謝いたします。お宅の玄関先のコートで行ったテニスも楽しかったですね。安らかにお休みください。とは言っても、きっと虫捕り網を手に天国の野山を駆け巡り、蝶を追っかけておられるのでしょう。最後に私事ですが、娘(京)が留学の際には、ジーン夫人にもいろいろお気遣いご援助いただき本当にありがとうございました。家内共々心から感謝しております。
合掌。
2025年10月17日
古澤 満