科学的発見の要因の一つであるセレンディピティ(Serendipity=無関係なもの事から予想外のものを発見する能力)は誰でもトレーニングすれば鍛えられる、というのが筆者の経験から得られた結論です。
発見にはいろいろな種類がありますが、一科学者である筆者にとって一番魅力的なのは、新しい発見の裏側に流れる未知の法則を発見した時です。さらに、その法則がより広い現象を説明するものであればあるほど満足度が高いものになります。
日頃よく経験する一寸した閃きや直感にも、科学的発見と共通するものがあるように思えます。それは、脳の別々の場所にインプットされている過去に経験した多種多様な記憶が、目前に現れた新事実と因果関係なく偶然に結びつくことがきっかけになると推則しています。
閃き、直観とは言え、何も存在しない無の状態から生じるとは考え難いことです。つまり、一見無関係に見える既存のメモリー同士、あるいは遭遇した新事実とメモリー間という異質なものの偶然の結びつきがあって初めてセレンディピティを生むことが可能となります。勿論、記憶力も大切ですが、本質的には記憶力の問題ではなく、記憶間の関連付けの能力に関わる問題です。この様な過程を通して多くの科学的発見がなされるのでしょう。そして、新事実の裏に隠れている科学的真理が明らかになるのだと思います。この仮説のもと、以下に話を進めていきます。
世の中には天才と言われる方々が確かに存在します。地動説を唱えたガリレオや万有引力を発見したニュートン、数学界の2大巨匠オイラーとガウス、近年では一般相対性原理の提唱者アインシュタイン、数え挙げればきりがありません。では、彼らの脳は私達一般人と一体どこが違うのでしょう?恐らく天才と呼ばれる方たちは、ある新現象に出会った時、過去に脳内の別々の場所に蓄えられていた多くの記憶から特定のものが自由に選別されて、現実の現象と関連付けることが出来る特殊な能力を持ち合わせているのではないかと想像します。この飛躍した一見無関係な事象同士(既存の記憶同士も含めて)の物理的結合こそがセレンディピティを生むトリガーになると考えます。
凡人である私の場合は、真新しい現象に遭遇した時に、いつもと同じつまらない記憶が繰り返し蘇ってきて、寧ろ思考の邪魔をします。その記憶も幼少の頃のものが多いのは何故でしょうか?読者の中にもこのような経験をお持ちの方がおられると思います。セレンディピティは刹那的に生まれるもので、決して論理的な熟考の末に現れるものではありません。では、筆者のような凡人はどうすればセレンディピティを磨くことができるのでしょう。以下に筆者の拙い経験を例にして説明したいと思います。
最近、情報文化学会誌から依頼いただいた論文(古澤満.「不均衡進化理論」 情報文化学会誌30巻2号3-10,2024)に書いた通り、筆者は幼少のころから動物が進化する姿をこの目で見てみたいと強く想っていました。この思考は現在でも変わりなく続いています。食事中もそうですし、他人との会話中やテレビ視聴中、時にはスポーツをしながらさえも考えています。つまり、筆者の脳は意識しなくても常に「進化の加速」で詰まっていて、いわば背景の様なものですから、本人にとっては辛くも何ともありません。習い性(ならいせい)のようなものとも表現できます。
読者の皆様はもうお気づきかと思いますが、筆者の脳内では観察や経験で得られた全ての新規の事象が必然的に「進化の加速」と結び付く状況が自然に作られているのです。言うまでもありませんが、この状況は意識して創られたものではありません。努力せずして、否が応でも新しい情報と脳内記憶との連結のチャンスを増やすように働いているのは間違いありません。次に、筆者の進化研究の中で、現実に何が起こったのかを説明しましょう。
DNA複製に関する岡崎フラグメントが発見された1963年は、大阪市立大学(現、大阪公立大学)理学部の性分化に関する朝山研究室に属し、教鞭をとっていました。当然、当時31歳の筆者の頭の中は進化のことで一杯のはずでした。今から考えると不思議な事ですが、岡崎フラグメントの存在は心の底に何か引っかかるものとして存在してはいましたが、進化との関係は全く浮かび上がりませんでした。2つの娘DNAの間に変異率の差があり、進化の加速の可能性があることに気づくのに、驚くなかれ、何と20年を要しました(第8回「古澤満コラム」)。1963年当時の分子生物学の知識をもってしても、岡崎フラグメントと進化の関係は十分に予測できたはずです。この20年間、誰も気づかなかったのは不幸中の幸いという他はありません。この事実から、筆者が典型的な凡人である事が分かります。
さて、昨今のAI(人工知能)の発達には目を見張るものがあります。AIはセレンディピティに取って代わることができるのでしょうか?もともとAIは科学的ロジックの上に成り立っているものです。従いまして、閃きや直感等、ロジックにあまり依存しないように思われるセレンディピティはAIの苦手とする分野であると思いがちです。果たして本当にそうでしょうか?将来、AIがセレンディピティ能力を獲得する可能性は否定できません。筆者はこの分野には全く門外漢ですが、もしそういう世界がきたら、科学者たる醍醐味の大部分は失われ、科学者の存在価値は一体どうなるのでしょう。読者の皆様は、どうお考えでしょうか?
2024年6月7日
古澤 満