日本では、人物や動物だけでなく、時には石の様な物体、山や景色までもが神として崇められています。筆者は、我が国のこの様な文化や風習を決して否定しません。それどころか、寧ろ敬虔な気持ちで受け入れています。ヨットに乗っていた頃は、乗船前に木更津のヨットハーバー近くにある交通安全の神様である八剱八幡神社で航海の無事を祈ったり、歩いていて偶然に見知らぬ神社の前を通り過ぎた時には、何方が祭られているのかは無関係に頭を下げる事もあります。また、困った時には「神様、お願い!」と心の中で思わず呟くことも屡々です。しかし、このコラムで論ずる対象はこの様な神ではなく、所謂、創造主(The Creator:クリエイター)です。

創造主について意見を述べるには、筆者の専門である進化に関して話を進めるのが最も適切でしょう。19世紀には、全ての生物はそれぞれ神によって創られたとする考えが広く世間に行き渡っていました。ダーウィンやラマルクを始めとする進化学者がこの考えを打ち破った事は、読者の皆様もよくご存じだと思います。しかし現在でも、文明の発達したあの米国でさえ、進化論の教育を意図的に弱めている州があるそうです。一方、生命研究者の世界では、進化は今も学者の心を魅了する最大のテーマの一つであり続けています。筆者もその一人です。

さて、ここで、「全ての生き物は神によって創られた」とする考えを認めたとしましょう。進化に関してこれほど明快な答えはありません。難しい理論を振り回す必要もなく、問題は一挙に解決されます。つまり、生物が存在する理由についての問題は完全に解決され、進化論などが介在する余地はなくなってしまいます。サルとヒトが共通の祖先からどのように分岐し、進化したのか等、悩む必要はもう全くありません。この様に、創造主の存在を認める事は“科学することを止める事”と同義なのです。この結論は、進化論以外の全ての科学についても言える事です。

筆者は現時点で、生命の創造主は存在しないのではないかと考えています。その主な理由は、(1)たんぱく質の材料であるアミノ酸や、遺伝子の構成要素である核酸やその塩基も、小惑星試料や隕石から沢山見つかっています。しかし、この事実は生命が地球外からやって来た事を意味するのではなく、生命の“素材”が宇宙には十二分に存在する事を示しています。(2)生命を作っている元素は、主として15種類で、全て周期律表に載っていて、特別なものはありません。つまり、地球に限らず、宇宙の何処ででも環境さえ整えば、生物が生まれる可能性があることを示しています。(3)生物の特徴は複製することですが、複製するには成体の複雑な構造を情報化する必要があります。その理由は、物質でできている成体の構造体自体には複製する能力がないからです。複製できるのは全宇宙の中で生物だけであり、その情報化の実体がDNAの存在です。従って、若し地球外生命が存在するとすれば、地上の生物の様に、遺伝情報としてDNA様の遺伝物質を持っている筈です。ここまでの話には創造主が介入する余地はなく、現代科学の知識で十分説明が可能であると筆者は考えています。

生命に関して、最後に残るのは進化の問題です。ダーウィンの自然選択説を基盤とした進化の統合説(ネオ・ダーウィニズム)は、進化を“集団内の遺伝子頻度の変化”として説明する理論枠組みで成り立っています。これに対して、我々は新しい概念、不均衡進化理論(Disparity theory of evolution)を提唱しました。本コラムのシリーズで縷々述べて来ました様に、その理論の要点は、DNAが複製して生ずる2匹の娘DNAの変異率には進化の途中で自立的に差が出来ると言うものです。これをFD(Fidelity difference:忠誠度の差)と名付けました。この変数(FD)を進化の統合説に一つ加えるだけで、進化の形相は一変します。それにより「遺伝形質の元本が保証された多様化」、 言い換えれば「不滅の進化戦略」が実現されるのです。進化はダーウィンが言うような、生物にとって決して受け身の存在ではなく、生物は積極的に進化を駆動する分子メカニズムを持っているのです(文献1)。別の角度から見れば、宇宙に存在する複製系(生命体)の“属性”の一つとして、FDの自然発生があると解釈できます。この属性があるからこそ複製系は誕生し、進化することが出来たのです。ネオ・ダーウィニズムの百有余年の歴史の中で、完全に欠落していた視点です。この様に、不均衡進化理論は進化研究の中でもエポックメーキングな発見の一つだと自負しています。複製するもの、即ち生物は、地球起源であれ地球外起源であれ、全てこの法則に従う事になります。FDが出現するメカニズムも含めて、第66回コラムに分かりやすく説明していますので、是非お読みください(文献1)。最後に、不均衡進化理論はネオ・ダーウィニズムや分子進化の中立説とも矛盾しないことを付け加えて置きます(文献2)。生命の誕生も進化も、もう創造主の助けは要りません。科学で説明でき得ると筆者は信じています。

NHKのTV番組『ダーウィンが来た!』に出て来る見事な生物の生き方をすべて説明・理解出来なくても、それらに通底する原理が見つかり、それを数理的に表現できれば、進化の原理の大部分は理解できたと考えてよいと思います。FDが自然発生する機構も明らかになったので、筆者は、不均衡進化の理論的な部分の研究は概略終了したと理解しています。生物を用いた理論の実証と、高等動物を使った進化の加速実験が次の課題だと考えています。

ではこの世に創造主は存在しないのでしょうか? 問題はそう単純ではありません。光も出さないし吸収もしないので目には見えないのですが、重力は働く“暗黒物質”の存在が分かっています。銀河の回転の歪みや重力レンズ効果、宇宙歴史のゆらぎの観察からその存在が指摘されています。暗黒物質は現在の宇宙全体のエネルギーの約27%と見積もられていますが、実体は不明です。更に難題は宇宙の膨張を加速する“暗黒エネルギー”の存在です。宇宙全体の総エネルギーの約68%のものが、暗黒エネルギーだとされています。困ったことに、現存するどの様な物理的観測機器を使ってもその存在を知ることが出来ません。ここ迄きますと、もう筆者の手には負えません。即ち、筆者にとっては創造主を持ち出さなくては説明が付きません。つまり、筆者の科学的思考・理解能力を遥かに超えています。若し、近い将来これらの問題が物理学的に解明されたとしても、宇宙に最初にエネルギーや物質を与えた実体は何だろうか? いつまでも疑問は続きます。現状では、創造主の存在を考えるしか術はありません。筆者は“物質の起源の創造主は存在するのではないか?”と想像しています。

筆者の独り言。『この文章を書いていてふと想い出したのは、マドリッド近郊のエル・エスコリアルで催された進化に関するサマーコースで、隣に居合わせたスペイン人の研究者が私に呟いた言葉です。「西洋では神との“対峙”から科学は始まる。」(文献3)。』

2026年8月7日
古澤 満

文献:

  1. DNA複製に伴う不均衡変異は自発的に起こる [第66回 古澤満コラム]
  2. 分子進化の中立説と不均衡進化理論 [第61回 古澤満コラム]
  3. エル・エスコリアル サマーコース [第4回 古澤満コラム]
  • 第1回〜35回まではこちらから、第36回~はこちらからお読みいただけます。