もうかれこれ1か月以上は経ったでしょうか、筑摩書房(出版社)から宅急便で小荷物が届きました。何だろうと訝って開けてみますと、高校1年生の国語の授業の教師用読本(2022年から4年間限定)に不均衡進化理論が紹介されたという連絡とともに、当該ページの写し、全文のCDと図の出版許可願書が入っていました。国語教育と不均衡進化理論?さて、一体どういう関係があると言うのだろう?クイズに出してもなかなか正解が出ないような難問にしばらく戸惑いました。

13年前、筑摩書房から拙著『不均衡進化論』(文献)を出版した経緯があります。著名で美文を書く科学者の文章は国語の教科書に載ることがよくありますが、私の文章などは悪文ですから、とても国語の授業のお手本になるような代物ではありません。子供のころから‘読み方’(戦時中はこのように呼びました)や国語の時間は全くの苦手でした。中でも‘綴り方’(作文)の時間は苦痛以外何のものでもありませんでした。

折悪しくCDの再生機器が故障しており、同封の該当ページの写しを読んでようやく主旨が理解できました。生物進化における突然変異の役割と社会における科学の役割について論じる中で、わが国では「変異としての科学」が疎んじられていること、これに対してシステムとしての科学だけが強調され、「無駄」が許容されない歪な現実に警鐘を鳴らしています。確かに、不均衡進化論では生物は「無駄」(変異=誤り)を上手く利用して進化の駆動力を引き出していると主張しています。高校生が教科書の勉強を終了した後で、より発展的な学習としてこのような資料を利用すれば、学びの更なる発展と進化に結びつくだろうと論じています。このような視点から自説をみたことがありませんでしたので、何やら面映ゆい気持ちになりました。嘗てダーウィン進化論の「生存競争の結果生物は進化する」と言う一面だけを取り上げて、為政者に利用された経験があります。不均衡進化理論の研究成果がこのような形で教育の場にポジティブな形で取り挙げられたことは、望外の喜びという他はありません。

私にはこの様な展開は全く予想できませんでしたが、そういえば、戦後の高校には哲学の授業はないのですね。生物進化は哲学的色彩の濃い学問分野です。特に不均衡進化理論に関してはそう思います。現在の高校で不均衡進化理論の概念を説明しようとすると、国語の時間しかないような気もします。『第40回古澤満コラム』では、大学における哲学の研究について所信の一端を書きましたが、高校生に何も難しい話をする必要はありません。今回の件があってから、高校で哲学の基礎を教える教科があっても良いような気がしてきました。昔の偉大な哲学者の主張する理論を分かり易くかみ砕いて生徒に教えることは、日本の教育にとってキーになるかもしれません。少々内容が違っていても、先生側・生徒側に理解できないところがあったとしても心配はないでしょう。何も完璧で正しい事だけを教えるのが教育ではありません。更に、哲学者の言うことがすべて正しいなどあり得ないことです。高校生の頃の頭脳は柔軟ですから、先生を含めて皆で考え、そして自分でも考える癖をつけることが必要です。哲学は何も研究者だけのものではありません。人の生活そのものも各個人の哲学の上に立っています。

旧制高校では学生は男子に限られていましたが、全寮制ですから学生同士、全員こぞって哲学の議論で闘ったと聞いています。青臭い議論もあったでしょうが、独立心の養成と人間形成に役立ったと言われています。戦前戦中の教育で唯一優れていた点と言われる所以でしょう。

現在の日本では、「科学的」にものを考えることが善とされる風潮があります。一科学者としては歓迎すべきことですが、そこには落とし穴があります。科学者の思考過程を哲学者カール・ポパー流に表現しますと、≪観測する≫→≪結果を一般化して理論を構築する≫→≪憶測を加える≫→≪理論を正当化する≫という流れに陥りやすく、このサイクルを繰り返して行くとますます真理から遠ざかることになります(『第15回古澤満コラム』より)。最初の≪観測する≫ところから既に怪しいことは、同コラムで紹介した数学者であり哲学者でもある皮肉屋のバートランド・ラッセル卿の以下の逸話をお読みいただけると分かると思います。“「飼育小屋で何百匹というヒヨコが飼育されています。飼育係のおじさんが毎日決まった時間に餌をやりに来ます。ヒヨコたちはおじさんが大好きです。何か月かたったある日、餌の量が急に増え味も一段とよくなりました。ますますおじさんが好きになりました。数日後、みんな惨殺され鶏肉にされてしまいました。」”

上記の5段階の思考ステップに掛かるバイアスは広い意味で当事者である科学者の知識と哲学です。同じ現象やデータを取り扱っても、得られる答えが全く異なることは常にあり得ます。勿論、哲学は科学者のみならず、人の決断や行動に決定的な影響を与えますから、高校生に哲学を教えることは人格形成上非常に重要なことだと考えます。この授業の特徴は、押し付けるのではなくて、皆で議論し、考えることにあります。ここに紹介しました国語の教師用読本に沿って勉強した高校生の皆さんが、将来どのように育っていくかとても楽しみにしています。また、この教師用読本は、高校における哲学教育導入の可否を決めるテストケースになるでしょう。

 

2023年9月21日
古澤 満

 

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