
研究生活を長く続けていると、過去に書いた論文の中に、1つや2つは何時までも気に掛かるものが出て来るものです(文献1)。その最たるものが、ここに紹介する小論文です(文献2)。その頃のNature誌には“Letters to the editor”(編集者への手紙)と名付けた欄があり、筆者はこれを愛用していました。ある時には、編集者から「貴方の英語を訂正しても気を悪くしないでください。若し私が日本語の雑誌に投稿した時、文章を直して頂いたら嬉しいですから。」と言う手紙が添えられていました。またある時には、他の日本人の方の論文ですが、新種の淡水生巻貝のカタツムリ様の殻が、「invisible(見えないと言う意味)」と書かれていました。論文では、敢えて訂正せずに、「invisible(transparent?)(透明の間違い?)」と、さりげなく括弧を付けて書き加えられていました。あの頃のNature誌は、投稿者とその論文を大切に扱い、温かみを感じたものです。そのこともあって、筆者はこれまでに計6篇の短論文を同欄に掲載しています。科学誌への投稿も発行も電子化された今では、昔の味が消えてしまいました。査読者が明らかにAIを使用して質問していると思われるケースも散見され、これでは科学論文の将来が心配です。
当時筆者は30歳、大阪市立大学理学部(現、大阪公立大学)の助手(現、助教)でした。研究室ではグッピーやメダカ等の淡水魚や、天然のイモリが性分化の実験に使われていましたが、筆者は特に哺乳動物の性分化に興味がありました。1957年にEichwaldらは毛色が真っ黒なC57BL純系マウスを使い、メスに移植されたオスの皮膚が免疫反応によって拒絶されることを報告しました(文献3)。また当時、組織適合性抗原で感作して得られたマウス抗血清は、抗原提供マウスの赤血球を凝集させることが知られていました。これらの結果をヒトに当てはめてみますと、同じ血液型同士であっても、男性の血液を女性に輸血した場合に免疫反応が起こる可能性を示唆してします。そこで、これを確かめるためにマウスで実験を試みました。
当時は純系マウスを手に入れる事が困難で、塩野義製薬で確立されたDD系マウスを譲渡して頂き、実験をしました。手作りの飼育箱を用意し、エサはコムギの玄麦とダシジャコでした。計40匹のメスを睾丸のすり潰しで免疫し、それぞれの個体から抗血清を得て、健康なオス・メスから得られた赤血球懸濁液に加え、凝集反応をテストしました。文献2の表を見ながらお読みください。抗原を注射した40匹のメスの内、免疫反応により脾臓が肥大化した7匹から得た血清は、テストした正常なオスの赤血球を例外なく特異的に凝集しました。この結果に小躍りしたのを今でも鮮明に覚えています。しかし、それは束の間の喜びでした。♀bと表示した正常なメスの赤血球も例外的に強く凝集したのです?! ♀bの結果について、筆者は大いに悩むことになります。(また、♀cの赤血球も例外で、h-1血清にのみ弱い反応を示しましたが、恐らく疑似陽性だと思っています。)
折しも我が大学は大学紛争の前兆で、追試実験をするような雰囲気は全くありませんでした。従いまして、この状態のままNature誌へ投稿することを止む無く決断しました。論文に書いた結論は次の通りです。『表に示した7匹の抗血清は、オスの赤血球をメスのそれから区別することが出来る。♀bの赤血球凝集の件は後ほど検討する。事実は明白です。表に示した7つの抗血清が“DD系マウスのオスとメスの赤血球を識別する”ことは確かでした。』それからが大変でした。寝ても覚めてもこの♀bマウスの実験結果が頭に浮かび上がってくるのです。想起する回数は減りましたが、今でもその状況は基本的には変わりません。
♀bの結果に関して、現時点で筆者が考えている可能性は以下の通りです。(1)オスとメスを取り違えた。(今となっては証明の仕様がありません。)(2)譲渡されたb系マウスがそもそもは純系でなかった。(塩野義製薬が独自に作出したDD系(DSマウスなど)は純系ですが、現在一般に流通している代表的なDD系(ddYなど)は非近交系です。)(3)♀bマウスは外見や内臓(卵巣や子宮)の目視では判別できない雌雄同体であった。(4)ウイルス感染。等です。何れの場合も可能性はあると思っています。
現在ではC57BLは何時でも入手可能ですが、今の筆者にはこの実験を追試する熱意も設備もありません。でも、若しヒトにおいても女性と男性の赤血球の表面分子が違っていたとしたら、輸血の問題は勿論の事、“性とは何か?”と言う問いにヒントを与えることが出来る意義は大きいと思っています。筆者はこの論文を最後に性分化の研究から手を引き、紆余曲折を経て進化の研究に転じ、現在に至っています。
筆者の独り言。『なぜ、性はオスとメスの2種類しか存在しないのだろう?』
2026年8月20日
古澤 満
文献:
