ちとせグループは、今や2割のメンバーが東南アジア(シンガポール、マレーシア、ブルネイ)に在籍しています。そして、いわゆる「大規模な現場」のメインはそれら東南アジアにて展開しているのが現状。つまり、現場感は東南アジアからしか伝えられない!私が毎回取材しに行くわけにもいかないし、何より現地に入り込んで日々奮闘しているメンバーに書いてもらったほうがリアルが伝わるはずと考え、「東南アジアの現場から」シリーズを2020年5月よりスタートさせました。

第二弾は、マレーシアのクチン編。クチンは、ボルネオ島(カリマンタン島とどちらの名前に馴染みがあるのでしょうか)の北西部に位置し、マレーシアの中でも独自の文化が色濃く残り、1つの国に近い形態をとるサラワク州の州都です。ここクチンにて、熱帯環境下における世界最大級の藻類培養設備を建設し、藻類産業を興すプロジェクトが動いています。2年半にわたりクチンにどっぷり入り込みプロジェクトを動かしてきた遠藤が、クチンからお届けします!


*筆者:遠藤 政城 (Tech & Biz Development Div. Senior BioEngineer)
ちとせに入社してから、主に藻類の屋外大規模培養を担当。此れまでに横浜,鹿児島,タイにて屋外培養を成功させた経験を有す。藻類の専門家として見られがちだが、実は繊毛虫:テトラヒメナなどの原生動物が専門。

マレーシアで奮闘するちとせ(矢印の3人)とSBCのメンバーたち。両手に電ドラを持ち、満面の笑みを浮かべているのがクチン編執筆者の遠藤

藻類産業の実現可能性を求めて、クチンに降り立つ

「クチンに行ってくれないか?」 

藻類プラント運営に携わってきた此れ迄の経験を買われて、クチンに1000-m2の藻類パイロットプラントを建設するプロジェクトに声をかけられたのは2017年3月初頭であった。

今では2割のメンバーが東南アジアで奮闘しているちとせグループであるが、メンバーの中には語学が達者な人もいれば、不得手な人もいる。私は後者である。クチンが何処にあるのかもわからず、人も文化も知らず、さらに初の長期海外駐在ともなれば、簡単に「行きます!」とは返答できなかった。
しかし、とある好奇心が私にクチンへの駐在を決意させた。それは、「藻類産業とは単なる流行なのか? 産業として成立し得るのか? 実現可能ならばその瞬間に真っ先に立ち会いたい」との思いであった。

細胞生物学の始まりは、フックが手製の顕微鏡でコルク片を観察した1665年にまで遡るであろう。対して藻類学の始まりは、ラムルー(Jean Vincent Félix Lamouroux, 1819, France)やハーヴィー(William Henry Harvey, 1836, England)らによる海藻の分類が始まりとされており、淡水藻類まで含めた現在の藻類学の基礎を築いたのはパッシャー(Adolf Alois Pascher, 1900s, Czech)と言われている。藻類学は欧州(EU)で誕生し、第2次世界大戦期には藻類をタンパク質源とした食用用途への研究開発も試みられた。然しながら、産業と呼べる段階まで研究開発が深まることはなかった。一方で、1978年から1996年に掛けてアメリカ(USA)でも藻類からバイオディーゼルを開発するプロジェクトが開始されたが、こちらも経済的な収支が合わないとの理由からプロジェクトは中断されている。

細胞生物学と藻類学の歴史

藻類は、他の生物学の分野と比較して学問としての歴史が浅く知見の蓄積も小さいものの、上述の通り何度か産業用途への開発が試みられてきた。しかし、それらの開発が軌道に乗ることはなく一度は下火となったが、近年、タンパク質クライシス,燃料問題,環境問題などの時代背景が再び藻類に注目を集めさせた。転機となったのは2007年にUSAで制定されたエネルギー独立安全保障法 (EISA:Energy Independence and Security Act法)を機に、複数のベンチャー企業が立ち上がったことだ。この流れが世界を席巻し、現在の “藻類産業” という流れを再燃させた。時代に味方された藻類は、改めて産業として誕生しようと産声をあげたのである。

Googleで「藻類」「プラント」と単語を打ち込めば、多くの培養設備の画像を瞬時に検索でき、英語で検索すれば、より沢山の具体的な画像を閲覧する事が可能だ。便利な世の中である。以下の図は藻類の大型培養プラントと、それを有する国々の一例を世界地図上に示したものである。世の中では既に、多くの藻類培養プラントが建設されている。この図で注目していただきたいのは、それらのプラントが存在する “場所” である。

藻類の産業用途を前提とした場合、プラントの建設地は太陽光の恩恵(=日射量や日照時間)を受けやすく、季節性がないため温度も安定しやすい場所が適しているはずだ。それはつまり、赤道付近に他ならない。しかし、地図を見ていただくと分かる通り、ほとんどの培養プラントが北半球に位置しており、且つ赤道から離れた場所に存在している。北半球では冬が存在するため、通年での培養は不可能であろう。

世界各地の藻類培養施設

藻類培養プラントの建設や、屋外での大規模安定培養の実証は、藻類産業を担う上での初期段階として重要であるが、先の産業ビジョンまで視野に入れた道程を考えれば、“場所” というのは軽視できない深刻な問題となる。その点でクチンは、藻類産業を起こす上で非常に多くの利点を有す、優れた “場所” と言える。以下に利点を示す(4,5および6は駐在してから実感した内容)。

1. 赤道の近傍:季節性がない(冬がない)ため年中気温が安定しており、通年での屋外培養が可能。

2. 天災が無い:地震,津波,台風が無い(過去50年間に1度だけ、台風が近海で発生した事例がある)。

3. その日の天候が予想し易い:雨季にはスコールに遭遇するが1日に1回程度であり、降雨は20分から長くとも40分で止む。雨雲の接近が目視でわかるため、作業の計画・実行が管理し易い。

4. 他国に比べて物価が非常に安く、人件費や諸々の費用が驚くほど安い:例えば、お昼ご飯が150円で食べられたり、アパートでの1年間の水道料金が3000円だったりする。

5. 生活面が楽:クチンに限って言えば、衛生面が配慮されており治安も良い為、安全でとても暮らしやすい。また少量ながら日本製品も流通しているので、日本の調味料や電化製品も購入可能であり、日本食レストランもある。

6. 基本的に英語が通じる:マレー系,華僑,ムスリムの人達から成る多民族国家であるが、基本的に何処でも、誰とでも、英語でのコミュニケーションが可能。人種間における語学の隔たりが無いに等しい。

7. 東南アジアの中心に近く、巨大な市場が周囲に多くある

8. 藻類培養に適した、農耕不適地や平坦な土地が多くある

このように、藻類の培養面および駐在者の生活面の双方において、非常に多くの利点を有するクチン@マレーシアである。強いて欠点を挙げるとすれば、「 ① “島” である為、生産した藻類の発送などに不利(物流コストが嵩む)」「 ② 多民族国家であるため正月が年に3回ある(春節:華僑,Hari Raya Puasa:ムスリム,1月1日の新年:主にクリスチャン)。従って作業日程など、予定が立て難い」の2点である。

此処まで前置きが長くなってしまったが、2017年3月初頭にクチンへの誘いを受けた際に、思いを巡らせた内容であった。「千年先まで残る事業の核となる技術シーズを見い出し、実用化可能なレベルまで技術を育て、持続的に存続できる黒字の事業体として社会に埋め込むまでやり切る」のが、我々ちとせグループの企業理念である。どうも世の中では、正しい手順で物事を進める、というのは非常に難しいことのようであり、“藻類産業” を単なる流行で終わらせず、産業として成り立たせることまで考えた時、「クチンで奮闘するのは十分な価値がある」と、自分の中で納得する答えを見い出せた。

屋外培養設備について、地元紙,NNA,日刊ケミカルニュース,化学工業日報,週刊ブレーンズなど多種の雑誌に紹介され、今でも我々の活動が雑誌に紹介される。

様々な思いを胸に、2017年5月にクチン空港へと降り立ち、その2年後に、1000-m2 パイロットプラントの開所式典の日を迎えることができた。多くのメディアに取り上げられ、また沢山の人々に来訪していただいたことで、盛況な開所式典となった。心に残る仕事ができたと、自分に誇れる1日であった。しかし、此処まで辿り着く道程は決して生易しいものでは無く、長きに渡り積み重ねられた、皆の日々の努力が実を結んだ瞬間でもあった。

 

藻ガールの本領発揮! ‐藻類の採集・単離・ライブラリーの構築‐

私が、マレーシアの研究機関であるサラワク州立生物多様性センター*(Sarawak Biodiversity Centre, SBC)のプロジェクトに参加したのは2017年5月からであるが、本プロジェクトの開始は2012年まで遡る。

SBCは、近年の様々な環境問題を機に、生物多様性が豊かな熱帯雨林を有すマレーシア・サラワク州(ボルネオ島)の特徴を活かして産業利用が可能な藻類を収集し、そこから新規産業に繋げようと、2012年10月より三菱商事と共に模索していた。そして、2013年からは我々ちとせ研究所が、現場におけるプロジェクト運営やSBC研究員への技術指導を行う本プロジェクトにおける三菱商事の技術アドバイザーとして参加することとなった。

サラワク州内における藻類の採集・単離・ライブラリー化に力を注ぐにあたり、最初に駐在員として抜擢されたのは、藻ディアの著者でおなじみの、“藻ガール” こと尾張智美であった。彼女の藻類に対する知識と愛情が認められてのことであった。余談であるが、その後に彼女は1年近くクチンに駐在することになるのだが、駐在を開始したのは結婚してからたった1週間後のことであった。彼女の藻に対する愛情は、旦那様への愛に勝ってしまったのかもしれない…!?

産業利用が期待される有用形質を有する藻類の収集、と文字で記すのは簡単であるが、その活動は非常に多岐に及んだ。例えば、採取地だけでも湖,海,川,マングローブ林,自然の池や人工池,滝、そして洞窟など複数の場所におよび、加えて淡水・海水藻類のみならず、気性藻や土着藻に至るまでありとあらゆる藻類が採集対象とされた。また、採集する際には代表的なプランクトンネット以外の道具も用いつつ、水面表層から深層水まで幅広く採水したり、湿った土壌を採取したり、岩肌を擦って採取するなど、様々な工夫が施された。こうして集められた膨大な数のサンプルは、液体培地や寒天培地での準備培養の後に単離され、藻類株として樹立された。サラワク州の様々な環境に赴いてサンプリングを行う事もあれば、レアな藻類種を取得するため地道なサンプリング、観察を繰り返すことも欠かさなかった。

藻類の採集から単離までに至る此れらの工程は、藻類の特性を知り尽くしている尾張の知識が最大限に発揮される機会となった。その結果、10綱58属587株の藻類株がライブラリー化され、その中から将来の商業化が期待される複数の藻類種が見出された。

尾張の2年に及ぶ活躍によって、無事に “産業利用が期待される有用形質を有する藻類種の収集” に成功した我々は、藻類産業の実現を目指して、次の段階である「獲得された藻類種を用いた屋外での小規模培養試験」へと歩みを進める。

ここで、駐在員は尾張からホセ(Jose Romel F. MALAPASCUA)へと交替する。ホセはイスラエル、米国アリゾナ州、チェコ共和国、台湾と、世界の名だたる藻類研究室を渡り歩いてきた培養のエキスパートであり、藻類の専門知識は言うまでも無く、藻類屋外培養設備に関する工学的知識を有している。ホセによる現場指揮のもと、屋外培養の実証試験が開始されたのであった。

SBC&三菱商事のメンバーと(2016年4月)
(左の矢印より順に、中原,ホセ,尾張,星野, しゃんてぃん)

 

屋外大規模培養を見据えた、小規模屋外培養試験の実施

ホセ加入のもと、2016年より “有用形質を有する藻類種を用いた小規模屋外培養試験” に歩みを進めた我々であったが、「屋外試験を行う」と言っても、設備は何も無かったのである。心地よいほど潔く、ゼロからの出発であった。従って、培養設備を設置する場所決め・設備のデザインに始まり、作業に必要な電気,給水・排水設備の導入、そして藻類培養に必須なCO2供給設備の導入、培養水温の制御法、さらには培養リアクターのデザインに至るまで、全てを一から構築する必要があった。藻類研究者に求められた最初の能力が建設工事能力だとは、ホセも予想していなかったであろう。

培養設備の中核となる培養リアクターに関しては、オープン・ポンド型,レースウェイ型など幾つか種類があるが、屋外培養の多くでPhoto Bio Reactor (PBR) が採用されている。パイプ状または平板状の培養リアクターを立体的に配置する事で、藻に効率よく太陽光を供給できるほか、建設する設備面積や使用する培養液量を少なくできる利点があるからだ。また同時に我々は屋外大規模培養も見据えて、培養リアクターには現地で調達可能な資材を採用し、安価で、かつ大型化が可能な設備の建設を念頭にした。その結果、プラスティック素材を利用したフラットパネル型PBRが考案された。
図面起こしから始まった小規模屋外培養設備の建設は、様々な人々の協力のもと、無事に完成へと至ったのである。

培養設備完成の喜びに浸る間も無く、本試験は “此処から” が本題であった。商業化への過程を考えた場合、屋外での連続培養,安定した藻類生産性,運用コストの削減は、改善必須な課題だ。これらの課題を克服する為に、我々は屋内試験と屋外試験を並行して走らせた。屋内培養は様々な条件を人の管理下に置くことが可能であるが、屋外培養は不確定要素の塊であり、任意に制御できないのが常である。従って、屋内培養で得られた結果が必ずしも、屋外培養に合致するとは限らない。そこで、屋内では様々な条件についての検討試験、例えばCO2運用費の削減試験,温度耐性試験,拡大培養用培地の開発試験,藻類の生産性および収穫時期の検討試験などが行われた。この他にも、種々の分析結果,顕微観察結果を交えて議論を重ねながら研究が行われた。

また屋外試験では屋内試験の結果を基にして、屋外有用株の選抜試験,藻類生産性試験,余剰藻の収穫を繰り返しながらの長期安定培養試験、定期測定や収穫した余剰藻の乾燥処理,乾燥藻の成分分析などが実施された。

屋内・屋外試験の結果を高回転率でフィードバックさせることで、課題を見い出し、克服する作業が繰り返し行われた。また、我々は此れらの作業を、産業用途が期待できる数種の藻類種に対して、実施したのである。藻類に関する深い知識と様々な経験、そして培養設備に造詣が深いホセの現場指揮によって、商業化へと向けた多くの基礎が積み重ねられた。

私が参加した2017年5月は、多岐におよぶ条件検討が終わりに差し掛かる中であり、拡大培養用設備の建設に踏み出そうとしている時期であった。初期に考案されたPBRは、太陽光を効率よく取り込み、また建設資材の使用量を最小限にする目的から、地上に設置する型式では無く、支柱から吊り下げる型式が採用された。吊り下げ型PBRは太陽光への露光率が高いだけで無く、作業での利便性も高い。その一方で、➀吊り下げ部位が紫外線・高温・風雨によって劣化し、落下する危険性がある、➁膨潤するPBRを平板にするため、多くの溶着箇所・溶着作業が必要となる、➂長期間PBRを使用すると溶着箇所が紫外線により劣化して剥離する、などの欠点も確認された。拡大培養でのプラント運用を考えた場合、複雑なメンテナンスを要し、交換頻度が比較的高い吊り下げ型PBRは、その費用面から改善が必要であった。そこで、既存のPBRを参考にして、PBRを支える骨組みを地上に設置し、此れにPBRを格納する型式が考案された。本型式では、熱帯地域の屋外環境下において商業利用が可能なPBRを前提としているため、(1)設置や運用が容易な簡易的な構造(2) 高温多雨な熱帯地域の屋外環境下において長期間培養を可能とする強固・安定的な構造(3) 量産・拡大を安価かつ容易に行える汎用資材を最大限に活用した構造、などの特徴が求められた。各種資材の調達に始まり、試作機を作成しては、耐久試験が繰り返され、拡大培養用PBRの原案が考案された。

ホセが本プロジェクトに参加した時と同じく、私の場合も最初に着手した業務は建設工事だったのだ。最も苦労したのは “資材の調達” である。日本であるならば、大型ホームセンターに行くと、いとも簡単にあらゆる資材を調達することができる。しかし、クチンにその様な都合の良いお店は存在しない。現金払いの小売店が主流だ。従って、“資材の調達” は “お店探し” から始まったのだ。Google先生という素晴らしい仲間がいるも、小売店がネットに情報を載せているのは稀であり、英語でHPを掲載しているとも限らない。マレー語だったりするのである。なので、小売店に足を運んでは店員と仲良くし、小売店から別の小売店を紹介して貰うのだ。繰り返していると問屋まで辿り着け、流通商品を卸価格で購入できるというラッキーなこともあった。この時間の浪費に思えた経験が、後の拡大培養設備の建設に大きな財産となった。

 

開所式典を迎えるまでに

拡大培養用に考案した試作PBRの設計を基にして、2017年11月より1000-m2パイロットプラントの建設が着工された。今思い返しても、プラント建設はトラブルと苦労の連続であった。建設作業が進む中で、再施工が必要となる様々なトラブルが続発したのである。一例を記せば、貯水タンクへの “注水箇所” はタンク上部に導入するのが常識であるのに対し、なぜかタンク底部に導入されたのである。これではどうやってタンクに貯水するのであろうか? 挙句には「こういう設備の建設は、日本人が上手いんだよ!」などと言われたほどである。

結局、建設業者が施工できない細部の工事や、時間が掛かり過ぎる工事などは、ホセと遠藤で修理・改善・改造を施したのであった。拡大培養の専門家というのは、ある時はコンサルタントであり、またある時にはエンジニア,大工仕事,作業員であったりするため、“何でも屋” と言い換えられる。建設中は、過去の資材調達で苦労した、小売店の様々な情報に助けられる事となった。その後も様々な苦難を乗り越えて、1000-m2パイロットプラントは着工から1年後の、2018年11月に完成を迎えた。

プラントが完成してから数ヶ月間は、運用方法についてSBC研究員への技術トレーニングが行われた。その後に、海産養殖業における給餌飼料や藻類オイル事業にも応用が可能な藻類種をSBCライブラリーの中から選抜。此れまでに培ってきた種々の培養条件を基礎にして、その藻類種を使用した屋外大規模培養における安定培養の実証や、生産藻を用いた藻類開発事業に向けた共同開発試験が開始された。そして併せて、開所式典に向けた準備も開始されたのであった。

ここで新しい仲間を一人紹介したいと思う。
同時並行で様々な作業を進める必要に迫られた現場側は、過密スケジュールとなり、完全なマン・パワー不足に陥ってしまったのだ。そこで、ちとせ研究所の新入社員である松崎 巧実が、2019年4月より本プロジェクトに参加した。松崎は、大学院を卒業したばかりの新社会人であり、パスポートを得るのも、海外に出かけるのも人生初の経験。それなのに入社してから2週間後には、クチン@マレーシアでの滞在を開始したという、勇気と行動力に溢るる若人である。それだけでも驚く処であるが、完全な若手に経験という大きな財産を築くチャンスを与えた、弊社の方針にも驚いた。2重の意味で驚いたのを、今でも鮮明な記憶として覚えている。

松崎に、4ヶ月間に及ぶ英才教育という名のシゴキ? を与えて、現場での動き方・安全について叩き込んだ結果、培養した藻類の収穫・再展開,産業遠心機を用いた収穫藻の濃縮など、プラント運営に関わる業務全てを自由自在に組み立てられるように成り、入社してから7カ月後には、教える側の立場にまで成長した。世の中に、藻類プラントの運用が可能な人間はいったい何人いるのだろうか? という疑問が頭を過る一方で、松崎が「英語はできないです!」「配管が外れました! 藻、洩れました!!」などと騒いでいた当時を、懐かしく思い出す。
※松崎は現地で大活躍の後、昨年末に日本に帰国している

2018年11月に培養プラントが完成してから9カ月間、時に衝突したり、喜んだり、また様々な悲鳴を聞きながら走り抜けて、2019年8月27日に1000-m2パイロットプラントの開所式典を迎える事ができた。誰よりも早く、緑一面の培養風景を独占できるのは、現場人員に許された特権だと思う。式典当日は、藻類の商業利用を紹介する特設ブースが設けられ、今後の藻類産業の展望や、各種微細藻類の産業用途、また既存の商品などが紹介された。式典では、開催の挨拶をSBC議長であるYang Berbahagia Tan Sri Datuk Amar Wilson Baya Dandut氏(タンスリ)が行い、サラワク州知事による演説、そして三菱商事株式会社からは太田氏(執行役員)より御言葉をいただいた。また、日本大使館からは公使が、経産省からは室長が来てくださり、彼らと並んでちとせの代表である藤田も前列のVIP席に着席した。開所式典の後は1000-m2培養設備へと移動し、SBC研究員による設備の説明を伴った視察が行われた。最後に培養設備の北側に、州知事による記念樹の植林が行われ、式典は閉幕となった。

開所式典には非常に多くの方々にお越しいただいた。式典そのものは午後より開催されたが、午前中に来訪された方々も多く、午前中の訪問者数は353人。また、式典に参加された来訪者数は431人であり、8月27日の来訪者数の合計は延べ784人に及んだ。また、来訪いただいた方々の所属は、州政府機関,連邦政府機関,大学,現地企業,国際企業など、延べ426団体に上った。非常に多くの方々に藻類産業の現状や、プロジェクトの意義・貢献度、そして将来への可能性を伝えることができた。この日を迎えるために築き上げた、7年間であった。


2019年8月27日に開催した、1000-m2パイロットプラントの開所式典の様子はこちら

「マレーシアは今後、バイオマス産業の主要な舞台になる」 ──ちとせグループ主催 マレーシア視察の様子をダイジェストでお届けします

 

様々な活動とオフの時間

此れまで培養プラントでの活動を中心に語ってきたので、最後に事業開発での取り組みや、オフ時間の過ごし方について記そうと思う。

SBCでは、希望があれば培養プラントの見学を受け入れており、此れまでにも数多くの見学者にお越しいただいた。その中にはイギリスのウェールズ公チャールズ皇太子も含まれる。三菱商事株式会社からは「現場感を直接体験して貰いたい」との要望でインターンの学生さんの受け入れも行った。

“百聞は一見にしかず” という言葉通りに、見学された方々が一様に目を丸くする反応は、見ていて面白い。見学時は一般的な話から、時には玄人向けの話題まで様々な会話が飛び出すため、双方にとても有意義な時間となった。

また、現場が運用費の削減や、大規模培養での安定培養や藻類生産性に奮闘する一方で、事業サイドでは生産された藻類バイオマスの販路開拓に奮闘していた。水産養殖における微細藻類の用途には、主に「水質浄化」「単一飼料」「栄養強化」「色揚げ」「飼料への混合」の5つが知られている。此れらの中でも特に「餌料」と「水質浄化」の用途で藻類が用いられる場合、市場に流通する藻類商品の単価が高く、また、乾燥や抽出などの下流工程を必要としない場合が多い。それ故、藻類生産と用途開発の初期段階として取り組むのに、もっとも魅力的な用途と言える。

これまでに、マレーシア,タイ,ベトナムにある水産・畜産企業事業者や、マレーシア連邦水産庁への訪問等を通じて、市場調査、共同研究の検討が進められており、その内の2社:エビ養殖の企業(Sea Horse Corp.),ハタ・シーバスの養殖企業(Rambungan Marine Aquaculture)と、既に共同開発試験が開始されている。藻類種の商業化利用実現に向けて、マーケティング,研究開発,用途開発の各種が進められている。

(左)時には現場人員を交えて共同開発のパートナー候補と面談。(右)Rambungan社の養殖場は水上コテージにあるので、ボートに乗船して向かう。ちょっとしたアトラクション気分を味わえる。
Sea Horse社所有のエビ養殖池であり、最も小さい養殖池で5000-m2の面積。SBCのプラントで生産した藻類をエビ養殖池へと加え、エビの成長性などへの効果を調べた。この規模で試験が実施できる機会やパートナーと巡り会えたのは、大きな財産となった。

オフ時間の過ごし方と言えば、「遠藤、明日の休日は何しているの?」と問われ、「昼まで寝ている」と返答した私を、片道1時間のルンドゥーと呼ばれる郊外まで連れ出したのは、SBCの研究開発の責任者であるノリハであった。「綺麗な海があってね。気分転換になるわよ」などと会話を交わすも、実は彼女の講演で下準備に人手が足りず、手を借りたかったようである。後日にお礼として夕食に、地元で有名なスチーム・ポッドをご馳走になった。

またSBCでは定期的にイベントを開催しており、カヌーでの川下り競争やハイキングなどのレクリエーションも行っている。事業サイド所属の星野やしゃんてぃんは、ハイキング・イベントに参加し、良い汗を流したようである。「試験が成功してひと段落!」といった時には、SBC研究員のみんなで、シーフードが安くて美味しい、地元でも知る人ぞ知る名店に足を運ぶこともあった。エビや魚介をお腹いっぱい食べるなら海外に限ると心底思ったものだ。美味しいご飯を食べながら、くだらない話やみんなの生い立ち、文化の違いについて、楽しく語らう一時を過ごした。

土日の多くはホセ,松崎,遠藤の3人で、自身が日本から持参したPS4でゲームを楽しむ事もあれば、3人で夕食に出掛ける事もある。遠藤と松崎にとって、ホセは良き英語の先生だ。ホセの藻類研究室を渡り歩いた昔話に耳を傾けたり、アニメ:ナルトの技名について、日本語のニュアンスと英語に置き換えた時の違いを真剣に語らったりする。英語で表現できない日本語独特な言い回しや文化を如何にして説明するかは、とても難しい問題だ。

松崎に触発されてHills Shopping Mallにある Altidude Climbing Companyでボルタリングを趣味として始めた。子供たちの健康を願って開設した家族経営のジムであり、ジムのオーナーであるマルコムは日本のボルタリングジムや有名選手:平山ユージ選手とも交流がある。「板橋のジムでね…」といった日本の話を、マレーの人から教わる事になるとは思いもしなかった。またジムを通じてフランス人の漫画家やマレー人の弁護士、さらには華僑の不動産社長など、色々な人と交流もしている。

クチン空港に降り立った当初の自分には、今の姿は微塵も想像できなかった。気が付けば、クチンに滞在して早くも3年の月日が流れていたのであった。事業を起こすのは人であり、人と人の繋がりでしか仕事は生まれない。弊社CEO藤田の言葉である。日々奮闘する業務は言わずとも重要であるが、長きに渡り築いた信頼や実績,他文化への理解といった基盤は、他者が容易に真似できるものでは無い。藻類種を用いた新たな産業をマレーシアから創出・発信すべく、皆で同じビジョンを共有し、日々の活動に打ち込む毎日を過ごしている。

おわりに、長きに渡る連載をお読みいただいた読者の方々に心よりお礼を申し上げます。機会があれば、是非、我々を尋ねていただきたいです。人との出会いに感謝の心を込めて。