広々とした柵の中で、牛たちがゆったりと草をはむ。ちとせアグリベースのチーズ工房はそのすぐ横に建っている。そしてチーズ職人、土屋はここを「おれの部屋」と呼び、愛してやまないチーズに五感を駆使して向き合うーーー
仕事チーズ、趣味チーズ。職人、土屋宏樹。
ここでは毎日、すぐ側で暮らす牛たちから搾られる生乳が運び込まれ、殺菌処理、加工、熟成、パッキングまで行われ牛乳やチーズ、ヨーグルトといった製品になる。その工程を趣味とすら言ってのける頼もしい男が、ちとせのチーズ職人、土屋宏樹だ。

工房に入り土屋から渡された「ウェルカムドリンク」は、できたてのチーズホエイだった。ヨーグルトホエイと異なり酸味はなく、柔らかい口当たりの甘さだ。じんわりと広がるその優しい味覚にどこか母性すら感じる…(飲んでみたくなった読者諸君、もちろんアグリベースの直売所で販売しているので安心してほしい。写真右、税込250円)。

筆者は心がイタリア人なので、食卓にはモッツァレラチーズ、グラナパダーノ、ペコリーノが欠かせない。それほど身近なチーズだが、今回実際に製造現場を見せてもらったところ、チーズ「作り」の方は私が最も不得手とする数字と化学の世界だったと知った。飛び交う単語は水の硬度、培養時間、塩分濃度、マグネシウム・・・

「チーズ作りは微生物が主役、自分は手助けするのみ。」
低温殺菌した牛乳に、旨味を最大限引き出すべく厳選された乳酸菌、凝乳酵素(レンネット)を混ぜると、カード(固形物、いわばチーズの赤ちゃん)とホエイ(液体、副産物)に分離する。その後、作りたいチーズに合わせ乳酸菌の生育を手助けし、カードの酸度や固さを調整しながら様々なチーズを生み出していく。また、地域によって水の硬度が異なるため、チーズの品質や保存状態にも影響が出てくる。この水質がチーズに与える変化を見逃さないのも、チーズ職人の仕事だ。






形成後、商品によっては熟成庫で寝かせる。八ヶ岳の自然に住む土着性のカビや酵母の力を借りることで、チーズはうまみを増していく。「酵母や菌、それぞれの特徴を引き出すのが自分の仕事。メインは微生物の力で、自分はそれを補助するだけ」と土屋は言う。
「小さな原体験の種を植えたい。」
直売所で自らも売り子もこなす、溢れんばかりの情熱をチーズに注ぐ土屋に、その湧き出る源泉を尋ねてみた。幼いころから親戚が酪農家をしていたり、祖父が畑を持っていたりと、農業というものが身近にあったそう。そこから十勝など各地の工房で修行を積み、現在はここ八ヶ岳で自分の理想のチーズを探求するに至る。
「幼少期に身近だった酪農体験という思い出が、自分の場合ここまで大きく育った。自分もいつかは教える立場になり、そんな小さな原体験の種を植えていきたい。教えていくうちの1000人に1人でも、『あの時の思い出』をもとにチーズ職人を志す人が増えれば、日本人にとってチーズがより身近な存在になっていくと信じている。とにかく今は美味しいチーズを作って、チーズ文化を広めていきたい。」
現在、ちとせアグリベースでは、そんな小さな原体験の「種まき」を企画している。野菜の作付け体験や、土屋によるチーズ作り体験も企画しているので、奮ってご参加いただきたい。
ひょっとすると、1000人に1人はあなたかもしれない。
