生物の進化を研究しようと大学に進んだのですが、実際に研究に入ったのは大学を辞して第一製薬(現第一三共)の中央研究所に新設された分子生物研究室長に転職した後の56歳の時でした(第8回古澤コラム)。実際の研究は新技術事業団ERATOの「古澤発生遺伝子プロジェクト」で行いました。その時以来進化の方程式を立てるのが私の夢でした。今、やっとその夢の一部が叶いましたが、この論文には別の意味で思い入れがあります。老々介助と言うべきか、2名の共著者の合計年齢が丁度160歳になります。世界的に高齢化社会になったとは言えかなり珍しい例だと思います。これもメールやZoom等のIT技術の発展がなければ到底実現しなかったことでしょう。

さて、進化を方程式に表して理解しようとする試みは古くからありますが、大きく生物派と物理派に2分できると思います。
前者の代表としてはフィシャー・ライトの式があり、ダーウィン進化とメンデル遺伝の統合としての進化の統合説の流れを生みました。後者の代表はアイゲン・シュスターの準種の研究でしょう。1992年夏、ゲッチンゲンのマックスプランク生物物理化学研究所長であったアイゲン博士のお招きで講演して以来、博士と親しくなりました(第7回古澤コラム)。残念ですが、2019年博士は91歳で他界されました。

さて、上記2つの流れに共通するのは、変異はランダムに起こると仮定しているところです。アイゲン・シュスターの方程式が導き出した結論は、変異の閾値の存在と、この閾値の直ぐ手前に位置する“カオスの縁”と呼ばれる進化が起こる変異率の特異領域の存在です。後になって、生命誕生以前のRNAワールドの理解に応用された式ですが、一種類の酵素の存在が仮定されていました。この世界では、たった1種類のRNAポリメラーゼがRNAのスープの中に存在していた訳ではありません。そこで我々は、変異率の違った2種類のポリメラーゼ(変異0の野生株と変異を起こし易い変異株)の混合酵素系を考えて計算し直しました。すると見事に変異の閾値がなくなり、リアクターの中に野生型が何時までも存在し得ることを証明しました[1]。つまり、一種の不均衡変異を導入したことになります。

一方、フィシャー・ライトの方は集団内に存在する変異遺伝子が、偶然に次世代に持ち越される遺伝子浮動の確率を問題にしていて、基本的には拡散方程式を用いています。特徴は、集団の構成員である個体やゲノムの複製機構には殆ど注目していない点です。一方、アイゲン・シュスターの式は、RNAの複製時に入る変異の蓄積を問題にしているので両者は全く立場を異にしています。

種は集団として進化します。集団の各構成員は複製によって増殖します。この複製という性質は物質界には存在しない生物特有のものです。複製は核酸を構成する4種類の塩基の相補性に元を発しています。そこで我々は、2本鎖DNAの複製のメカニズムに進化の謎が潜んでいると考えて、進化方程式の確立に挑戦しました。主役は畏友物理化学者の藤原一朗博士です。博士の専門は液体や溶液の構造や熱力学量のシミュレーションです(第42回古澤コラム)。博士には、生物学の知識に惑わされず自分の土俵で研究を進めるようお願いしました。

暫くして出来上がってきたのは、遺伝情報をマトリックス(格子)で表現するというアイデアでした。世界初の2次元遺伝アルゴリズムの誕生です[2]。各遺伝子はマトリックス上に点で表し、染色体はその点が密着して並んだ折れ線として表現されます。別の次元には各遺伝子の産物(タンパク質)の適応値が表現されています。つまり、このアルゴリズムを使うと、理論上無限の数の遺伝情報の表現が可能となります。更に変異による細胞死を折れ線(遺伝子相互作用)の切断として表現できます。

変異率等の条件を変えてシミュレーションを行い、最終的にシミュレーションで得られたグラフと解が極めてよく一致する2つの微分方程式(均衡変異の場合と、不均衡変異の場合)を立てることが出来ました[3]。不均衡変異の場合をここに示します。

この方程式の特徴は3つあります。
1)進化は時間の関数ではなく、世代数(G)の函数である。
2)変数は、連続鎖の変異率(Pe)と不連続鎖の変異率(Pa)の2つである。
3)Peが十分に小さい限り、平均変異率がいくら大きくても集団の絶滅はない。尚、Pd は1変異による死亡率で定数(0.45)、Cは積分定数である。

言い換えますと、生物は連続鎖と不連続鎖の情報エントロピーの差(カルバック=ライブラ情報量)をエンジンとして利用して、能動的に進化を駆動していると表現できるでしょう。進化は生物にとってどちらかと言うと受け身の現象であると捉えているダーウィン進化に対して、全く違う立場であることがお分かりいただけると思います。

今後は、さらに違った切り口からの進化方程式の探索に力を注ぐとともに、不均衡進化理論の発展と普及にも微力ながら努力したいと思っています。

2022年4月13日
古澤 満

[1]Aoki, K., and Furusawa, M. Increase in error threshold for quasispecies by heterogeneous replication accuracy. Phys. Rev. E Stat. Nonlin. Soft Matter Phys. 68(pt 1):031904 (2003). doi: 10.1103/PhysRevE.68.031904
[2]Fujihara, I., and Furusawa, M. Disparity mutagenesis model possesses the ability to realize both stable and rapid evolution in response to changing environments without altering mutation rates. Heliyon 2.680 e0014 1-25 (2016). doi: org/10.1016/j.heliyon.2016.e00141
[3]Fujihara, I., and Furusawa, M. A differential equation, deduced from a DNA-type genetic algorithm with the lagging- strand-biased mutagenesis. Heliyon 8 209155 (2022). doi.org/10.1016/j.heliyon.2022.e09155

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